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 始 三条大橋〜53 大津宿    京都府京都市東山区〜滋賀県大津市

 現在午後1時過ぎ。場所は京都三条大橋。平日の真っ昼間だからか、いつもより人通りは少ない。

 前日に旅の準備をして自転車に荷物を積んだが、まあまあの重さになった。荷物だけで10kgほどであろうか。 それだけの荷物を登山のように自分自身で担ぐわけではないが、自転車+荷物の総重量はいつもよりずっと重い。 そのため普段より加速しにくく、また止まりにくい点には気をつけねばならないだろう。おまけにこの日は猛暑日、 というかこの日から一週間ほどずっと猛暑の予報だ。熱中症にも十分気をつけないといけない。

 三条大橋を渡れば木屋町通、河原町通などの京都の繁華街がある。 現在の橋は戦後にかけられたものだが、擬宝珠は江戸時代のものが使われており、 その歴史を物語っている。 賑やかな所だが、近くの川原ではかつて石田光成や近藤勇などの人物が処刑されて 晒し首にされた場所でもある。まさにここは京都一千年の歴史の怨念が集まった場所とも言えよう。

 三条大橋付近のスポットとしては、橋の西詰にある弥次喜多像が挙げられる。 江戸時代の滑稽本、十返舎一九作の東海道中膝栗毛に登場してくる弥次郎兵衛と喜多八の二人の像である。

 実はこの旅のために、私は大学の図書館で東海道中膝栗毛を借りて読破しようとした。 ただ当然のことだが、古文の羅列にやられてしまい、結局全部読むことは諦めた。 一部の話だけ掻い摘んで読み、あとは解説書に頼った。

 また、三条大橋(川端三条)東南角には待ち合わせ場所として有名な「土下座像」がある。 高山彦九郎という、江戸時代後期の尊皇思想家の皇居望拝をしている姿の像だ。 その姿が土下座の様子にそっくりなので、そう呼ばれる。 (私は当時そんなことはつゆ知らず、本当に土下座しているものだと思っていた。帰宅後調べてびっくりした)。

 良く通る場所なので見慣れているが、改めて弥次喜多像の解説をよく読んだ後、 その目の前のコンビニで飲食料を確保した。準備万端。ではでは、日本橋への東海道自転車旅のはじまりはじまり。

 まず、三条大橋から一番近い宿場町、大津宿へ向かう。 この間は、京都市営地下鉄東西線と京阪電鉄京津線にほぼ沿っていけばいい。 ちなみに、京都府の府庁所在地の京都市と滋賀県の県庁所在地の大津市の距離は10kmほどしかなく、 都道府県庁所在地間距離としては最小である。

 京都の街の東に位置する東大路通。そこよりさらに東にある東山にちょっとした上り坂があるが、 それをいつものように越えると山科に着く。ここには山科追分がある。江戸から大坂へ直接行く場合は、 ここから南へ向かい名神高速道路の辺りを通って、先日通った伏見へ向かった。

 今回は旧道を行かず、国道1号に出た。ただ、県境のところで、車通りが激しくなかなか交差点を進めなかった。 やはりいつものように旧道を行くべきだったか。なにはともあれ全く意識せずに山城国から近江国に入ったことになる。

 そこからは名高き逢坂の関である。大津へ行く時のちょっとした関門だ。 小倉百人一首の10番、蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関」 で知っている人もさぞかし多いだろう。標高にして100mほど上ることになる。

 名神高速道路の下をくぐった後、地味な上り坂が2kmほど続く。 そして峠の所には逢坂山関址の碑と案内板がきちんとある。

 この関を越えれば大津市街地、京から一番近い宿場町の大津宿だ。


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