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プロローグ 

 2013年7月31日(水)正午。
 「では、時間です。答案用紙を前に回してください」

 前期の最後の試験である鉱物学のテストが終了した。とりあえず解ける問題は解いたので、この講義の単位は大丈夫だろう。 ただ、鉱物の単位格子のZ数とは一体何ぞや?結局テスト中に思い出すことはできなかった (実はごく基本的なことで、Z数とは単位格子中に含まれる粒子の数のこと。思いだしたのはしばらく経ってからだった)。

 さて、テストが終わったので、念願の夏休みだ。いよいよ今日の午後から、 前々から計画していた東京日本橋に向けての東海道五十三次自転車の旅を始める。

 下宿のほど近くに東海道の起終点三条大橋があるということで、前々からもう一方の起終点、東京日本橋まで自転車で行きたいと 思っていたのだ。行く機会を探っていると、2回生の前期のテストが終わってすぐの1週間ほど、時間が取れることが分かった。 猛暑だということは分かっていたが、やりたいことはやれるうちにやろうと考え、自転車での東海道五十三次の旅を決行した。

 ただ、確かに江戸時代の東海道を元に作られた現在の国道1号の起点は江戸時代と同じ日本橋(東京都中央区)であるが、 終点は京都ではなく大阪の梅田新道(しんみち)交差点(大阪市北区)にある。 国道1号の京都〜大阪間の道は、江戸時代に大坂と京都を結ぶ道の一つだった、 淀川の左岸側(南東側)の道である「京街道」に基本的に沿っている。 現在はこの京街道にほぼ沿って京阪電鉄京阪本線が通っている。

 東海道五十三次が有名なので、自分も東海道は江戸から京までだと自分も思っていた。 だが実は、江戸幕府は東海道などの五街道の警備などを担当した道中奉行の管轄にこの京街道を入れていることから、 京街道は東海道の一部だとみなしていたようだ。そのように考えた場合、東海道五十三次は東海道五十七次となる。

 そんな訳で、せっかく東海道を走るのなら、現代の東海道も走ったほうが面白い、 そして京街道の4つの宿場町も見たほうが楽しいと考えた。またテスト前で3週間ほど自転車に乗っていなかったので、 リハビリをしたいという目的もあった (……と色々言ったものの、一番の意味はテスト勉強からの現実逃避というのは否定しない)。

 そこで、東海道五十三次自転車の旅の3日前、テスト真っ只中の7月28日(日)に京街道の自転車旅を決行する。 プロローグの代わりとして、これからの東海道五十三次の旅の前にその旅を振り返る。


〜京街道自転車旅の回想〜  始 大阪梅田新道・高麗橋へ


※ プロローグを飛ばして本編に行きたい場合はこちら↓から

〜東海道自転車旅〜  始 三条大橋へ



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