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 始 高麗橋〜57 守口宿   大阪市中央区〜大阪府守口市

 その日は午前中に大阪府箕面市で用事があったので、まず自転車で京都から箕面までの40kmの距離を走った。 そして用事を済ませた後、国道1号の終点と京街道の端の地がある大阪市中心部へ向かう。 この日は日曜日だったからか、途中の道の交通量はそこまで多くなかった。

 1時間半ほど走った15時半過ぎ、大阪駅付近に到着。さすが近畿最大の都市、人であふれかえっている。 そこから大阪の南北の大通りの1つ、御堂筋を少し南に進んだところに、国道1号の終点、梅田新道交差点がある。

 この交差点の東西方向の道路は曽根崎通と呼ばれていて、梅田新道交差点の東側は東京日本橋への道である国道1号、 西は福岡北九州の門司へ続く国道2号となっている。そして、ここの交差点の北西角に大阪市道路元標の碑がある。

 そこに書かれている内容を見ると、どうやらここは国道1号や国道2号の他に、四日市へ向かう国道25号 (このうち三重の亀山と奈良の天理の間はいわゆる「名阪国道」)、 天橋立がある京都府宮津市に向かう国道176号などといった道路の端点でもあるようだ。 そこで記念撮影を取る。

 次に、京街道の起終点だった高麗橋へ向かう。 もともとは、ここより北側のにある京橋が京街道の端点だった。そして江戸時代初期に、この高麗橋に移された。

 御堂筋を南下し、大阪市役所を左手に見て、淀屋橋を渡る。 適当な所で左に曲がって、高麗橋を探す。重要な道路以外は適当に進むのが自転車旅行のコツだ。 すると運良く、目の前に高麗橋が見えてきた。どうやら正しいところで左に曲がったらしい。なんとも幸先の良いスタートだ。

 高麗橋はまた、西日本へ続く道の起点になった。それゆえ、高麗橋は大坂の玄関口となった。 他にもたくさんの重要な橋が大阪にはあり、さすが水の都だと言えよう。 そして、明治時代にも西日本の道路の起点となった場所である。現在は橋の上に阪神高速が通っている。

 第2のスタート地点でも記念撮影をする。それから、谷町筋にあるコンビニでアイスを食べて一休みした後、 猛暑の中を京街道沿いに京都に戻る。

 出発してすぐ、大阪のシンボルの一つ、豊臣秀吉が築城した大阪城が見えてくる。 姫路城や熊本城と並ぶ、日本三名城の一つだ。現在の大阪城の構造は建設時のものではなく、 江戸時代になってから徳川氏が再建した時の造りになっている。 そういえば一年ほど前、大学の友人2人とここを訪れて城に上ったのを思い出した。 大阪城の上からは大阪市東部の景色が一望できた。

 堀をまわって、国道1号に入る。江戸時代の建物など当然全くないが、京橋駅付近の高架には「京街道」の文字が。 こんな風にわずかな物があるだけで、現代の京街道を旅している気分になるものだ。

 後ろからロードバイクに乗っている人がやってきた。彼もまた長距離を移動する人なのだろうか。 それにしても速い。私はスピードをそこまで出さないし、出せないので、先に行ってもらう。

 しばらく行くと、大阪市を出て守口市に入る。


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