24 越堀宿へ戻る  (日光街道)・奥州街道表紙  26 白坂宿へ進む  

25 芦野宿〜26 白坂宿  栃木県那須町〜福島県白河市

 そこから2kmほど進めば、25番目の宿場、芦野宿に到着する。

 芦野宿は、栃木県最北の宿場町。関東と東北の入口の街ということで、経済的にも発展した宿場だったのだろう。 明治以降は交通の動脈からは外れたが、現在の街の姿からも、当時の繁栄が偲ばれる。

 来訪した時には、色々と道路に大荷物が置かれていた。 どういう訳かと地元の人に話を聞くと、夜に地元の夏祭りが開催されるということだった。 その準備でどこも大忙しのようである。

 また、ここ芦野宿には創業300年を超える老舗鰻屋の「丁子屋」がある。 そこで食事をとってもよかったのだが、鰻ということで少し値が張ること、そして夏祭りの準備で忙しそうだったこともあり、やめてしまった。

 地元静岡、東海道の丸子宿にも、とろろ汁で有名な同じ名前の老舗の店がある。 一般的には、こちらのほうが有名なのではないだろうか。
(繰り返しますが、奥州街道の丁子屋は鰻屋です。お間違えのないように……)

 先へ進み、目についた街道右手の食料雑貨店に入る。店主は準備で忙しいのか、子どもが応対してくれた。 どうしようかと悩んでいると、1個70円の赤いトマトが目に留まる。即購入し、その場で食すことにした。 それ以外にも、2Lのペットボトルの麦茶も手に入れた。

 芦野宿の探索終了。ここから栃木・福島県境までは、緩やかな上りがさらに続く。 距離にしておよそ10km、標高差は150mほどだ。

 相変わらず、道は走りやすい。道幅も広く、歩道もきちんとある。 大型トラックなどは国道4号や東北自動車道を通るので、旧奥州街道(国道294号)は主に地元の車が通ることもあるのではないだろうか。 手持ちの地図でも、ツーリングの目的となり得る、おすすめルートとなっている。

 周囲の景色も良い。夏草の青色が目を楽しませてくれる。。 これでもう少し気温が低ければ、そして日焼けが痛くなければ、最高なのだが。

 案内標識に、「会津若松」の文字が現れ始めた頃、大きな塚が左手に見えた。泉田の一里塚である。 数々の一里塚跡を今までに山ほど見てきたが、形が残っているものは珍しい。 これこそ当時の姿なのだが、見慣れてきたのは看板だけのものだったので、かえって新鮮に思えた。

 ここから白河まであと3里ちょっと(12kmほど)。 なお、後から分かったことだが、泉田の一里塚の少し手前の寄居集落は、間の宿(あいのしゅく:宿場と宿場の間の休憩所)だっだ。 手持ちの地図には、正式な宿場だと誤記されているが。

 芦野宿を出て40分ちょっと。ようやく県境に到着した。 下野国側に、「玉津島神社」という神社がある。国境にあることから、“境の明神”と呼ばれているようだ。

 1日半かけて、日本橋からここまでやってきた。距離にして、およそ180km。 人によっては自転車なら1日で走ってしまう距離だが、歩きの人なら5日ほどかかる距離である。

 それほど上ってきた感じはなかったが、ここからは下り。 磐城国側にも「住吉神社」という“境の明神”があったが、こちらはスルーさせてもらった。



24 越堀宿へ戻る  (日光街道)・奥州街道表紙  26 白坂宿へ進む