22 大田原宿〜23 鍋掛宿 栃木県大田原市〜栃木県那須塩原市(旧黒磯市)
国道400号線との交差点を右折する。ここ大田原から3つ先の宿場、芦野まで22km(案内標識による)。 スピードを落としつつ、何かないものか……と探していると、とある旅館の前に大田原宿の下町と書かれた石碑を発見した。 この辺りが宿場のメインにあたる場所だったのだろうか。 実際この考えは正しくて、この石碑から30mほどの距離に本陣・問屋・高札場跡の説明板があったらしい。 残念ながら、フェンスに隠れていてまーったく気付かなかったのだが。 その先の大田原城跡は、パスする。始めは寄っても良いかと思っていたが、後々のことを考えてやめた。 何かトラブルが起こって、街灯が少ない夜道を走ることになってしまっては問題だ。 どうしても、春の中山道・甲州街道自転車旅のナイトランの大変さを思い出してしまう。 川を渡ったらすぐ左折。ここは旧道をしっかり押さえて行く。 とは言いつつも、そんなに旧道を意識していた訳ではなかった。 手持ちの14万分の1の地図を少し見れば、どの道が旧道かは明らかだからだ。 ちゃんと県道72号に、旧奥州街道の文字が書かれているのだ。 そこから1kmほど進んだ場所に、一里塚跡があった。 どうやら日本橋から38番目の一里塚で、大田原市の文化財になっているようだ。 今となっては、こうして「塚」として残っているものは少ないのだろう。 昨日の小金井の一里塚は、国の史跡になっていたくらいだ。 一里塚の隣にはコンビニ。休憩がてら寄ってみる。 いつものツナマヨおにぎりを……と思ったが、今回は気分を変えてツナマヨ手巻寿司にしてみた。 そして、タンパク質補給のためのヨーグルトも。 再出発。すぐに見えてきた案内標識には、目的地の白河の文字が書かれていた。 初めて目的地の名前が見え、テンションとスピードが上がる。ここから2・3kmは調子が良かった。 途中、十九夜塔と書かれた石碑や、なぜか宿場でもないのに明治天皇関連の碑があった。 旧道の緩やかな上りを味わいつつ、那須塩原市に入る。 市の境界付近は、民家が少なくて道もここだけセンターラインがなかった。 青々と草が生い茂っていた印象が残っている。 鍋掛宿の直前の一里塚まで、ここから10分ほどだったと思う。 |
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