17 宇都宮宿へ戻る  (日光街道)・奥州街道表紙  19 氏家宿へ進む

18 白沢宿〜19 氏家宿  栃木県宇都宮市(旧河内町)〜栃木県さくら市(旧氏家町)

 本日初めて訪問する宿場の白沢宿は、鬼怒川の右岸にある宿場。 国道4号から外れた場所にあること、そして東北本線からも離れている場所ということもあり、宇都宮に近い地域なのに落ち着いた雰囲気がある。

 宿場の入口(白沢宿の交差点)に地図が置いてあった。どこに何があるのかが一目瞭然、ありがたい。

 本陣の場所をチェックして、ひとまずそこに向かってみる。もちろん途中に目ぼしいものがあるかも確認しつつ。

 白沢宿の本陣跡着。「白澤宿の会」と謎の「膝栗毛の会」によって主な宿場までの距離の豪華な看板が置いてあった。

 それによると、日本橋から30里4町、宇都宮から2里28町来たことになる。 日本橋からは120km弱ということは、白沢は歩いて4日目くらいに通過、あるいは宿泊することになるだろう。

 一方、次の氏家宿までは1里18町、6km弱。最終目的地の少し手前にある白河宿までは19里(75km)ほど。 事前に調べた国道4号での距離とほとんど変わらないので、一安心。

 再び、ゆっくりと街を眺めながら進んでいく。 そして先ほどの地図を思い出しながら、突き当り(確か毘沙門天の看板があった気がする……)を右折する。 そこから東へ進み、西鬼怒川を渡ったところに一里塚があった。

 説明の看板によると、この一里塚は江戸から30番目の一里塚で、元々は鬼怒川の畔にあったものらしい。 確かに川の近くにおいてあると、洪水のときにすぐ壊れてしまうだろう。

 その鬼怒川にかかる近くにある橋を渡り、宇都宮市からさくら市に入る。

 2005年に氏家町と喜連川町が合併してできたさくら市。 「さくら」は花の桜で、由来は旧喜連川町の桜などが由来だそうだ。

 この市の名称に対し、賛否両論があった(ある)のは事実。 特に、地名研究者からは激しい批判があった。

 私は中立的な意見である。肯定派・否定派それぞれに一長一短があるからだ。 ただ、たとえ名前が変わろうが、その地の山や川が無くなったり歴史が消える訳ではない。 誤解を与えるかもしれないが、名称など一種の記号に過ぎないのだ。

 話がずれてしまった。ともかく地図をよく見て、旧道らしき道を進んでいく。 まだ時間があるので、昨日みたいにスピード上げて新道を通って行かねばならないことはない。 途中何かの施設で旧道とおぼしき道が途切れていたが、些細なことである。

 しかしそんな道を選んで進んでいると、大通りを横切る時には面倒。 ここでは車通りが激しい国道4号を横切ることになったが、5分ほど流れが途切れるまで待つことになった。 なんとかタイミングを見計らって渡ると、その先には黄金色に輝くにはまだ早い水田が見受けられた。

 そして、東北本線の踏切を渡る。その踏切の名前はずばり、「旧奥州街道踏切」。 どうやら自分のルートファインディングは正しかったようだ。いつもは間違えてばかりなのだが。



17 宇都宮宿へ戻る  (日光街道)・奥州街道表紙  19 氏家宿へ進む