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21 鉢石宿〜終 日光坊中   栃木県日光市

 日光には、JR日光線の日光駅(左の写真)と、東武日光線の東武日光駅がある。 2つの駅は、徒歩2分ほどの距離にある。

 私は日光東照宮に来るのは2回目である。 この自転車旅の1年半前に来たのが最初であった。

 その時は、鉄道(JR)を使った。夜行列車で東京駅に着き、そこから宇都宮経由で日光に来たのだ。 なお、日光東照宮の後は、両毛線経由で高崎に出て、上信鉄道に乗り換えて、富岡製糸場を訪れた。 当時は、富岡製糸場が世界遺産になる前で、ほとんど来場者がいなかったのを覚えている。

 この時点で、標高は571m。宇都宮から450mほど上ってきた。 昨日と同様にあまり上ってきた感じはしなかったが、それなりに上ったようだ。

 そのまま、日光東照宮の門前町に入る。この辺りからが、鉢石宿のあった場所になる。 なお鉢石の読み方は、「はついし」である。

 盆明けの平日だったが、それなりに観光客がいた。 夏休み中の大学生以外にも、中国人をはじめとするアジア系の外国人が多かった印象がある。 かくいう私も、ここでは観光客の一人なのだが。

 下調べの記憶をたどり、門前町を進みつつ、鉢石宿の名前の由来になった「鉢石」を探す。

 右手にある、某生命保険会社の建物の裏手に細い下りの路地があるが、そこに入ると鉢石があった。 傍にあった金属製の看板によると、鉢を伏せたような形をしていることから「鉢石」というようだ。

 鉢石は、どうやら花崗岩のようだ。 おそらく基盤岩(地殻の基礎部分の岩石)ではなく、大雨の時に近くを流れる大谷川が上流から運んできた岩石(転石)だろう。 ついつい岩を観察してしまう、地学徒の悪い癖である。

 その鉢石から200mほど進むと、神橋(しんきょう)に到着する。 この神橋が、当時は鉢石宿と日光坊中の境界であった。

 自分は、あらかじめこの橋をゴールと決めていた。 今日はまだ40kmほどしか走ってないので物足りない気もするが、日光街道自転車旅はここまでとした。

 神橋は、江戸時代は一般人の通行は禁じられていた。 現在は、渡橋料を払えば橋の上を歩くことができる。 ただ、日光坊中側には柵があるので、渡り切ることはできないが。

 こうして、今回の2泊3日の日光・奥州街道自転車旅を無事に終えることができた。



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