日光街道・奥州街道自転車旅 エピローグ
日光・奥州街道走破の余韻に浸りつつ、そのまま日光東照宮の観光に入る。 ある駐車場の端に自転車を止めさせてもらった。念のため警備員の人に駐車料金を聞いたが、自転車は無料でいいという。 駐車場の場所や料金を気にせず観光できるのが、自転車旅の一つのメリットである。 「日光見ずして結構と言うなかれ」という諺を噛み締めながら、観光する。 東照宮拝殿の入り口にあたる陽明門は工事中だったのが、少し残念であったが。 見たかった「眠り猫」も見ることができた。そして、徳川家康公に無事に旅を終えたことを報告した。 詳しい日光東照宮の拝観記録は、このHPの趣旨から外れるので省略するが、代わりに写真をいくつか掲載しておく。
日光東照宮の観光の後、ふと華厳の滝を見ようかと思った。だが、標高差を見て断念した。 華厳の滝に行くにはいろは坂はを上らねばならないが、東照宮からは15km少しの距離で700mの上りがある。 流石に3日間で260km走った足には荷が重すぎる。またの機会にすることにした。 朝の天気予報では、昼過ぎから天気が崩れると言っていた。空もどんよりとしてきたので、早めに武蔵国に帰ることにした。 某コンビニで昼御飯を買い、東武日光駅に行く。 自転車を分解して輪行袋に入れてから、時刻表を見て、どのように東京都心に出るかを考える。 特急を使う場合、運賃とほぼ同額の特急料金が必要になる。 通常ならば、私は特急に乗らずに電車を乗り継ぐ選択肢を取る。 だが、普通電車を乗り継いだ場合、時間的に都心付近で帰宅ラッシュと重なることになる。 満員電車では、とても自転車を持ち込んで電車に乗ることなど不可能だ。 そのため、今回は特別に特急を使うことにした。 東武日光駅から普通電車に乗り、下今市駅で降りる。ここで、JR線に直通する特急に乗り換える。 やはり特急はすごく快適だった。 東武線の特急は、中国語や韓国語の放送もあることに驚いた。 車内改札でやってきた車掌に、途中の停車駅でどちらの扉が開くかを聞く。 それに合わせて、扉の前ある輪行袋を移動するためだ。 コンビニで買った弁当を食べ終え、窓の外の景色を見ながら、今回の自転車旅を振り返る。 1日目は、交通量が多くてすごく大変だった印象がある。これは日本橋出発でないと味わえなかっただろう。 翻って2日目は、交通量が少なくて、自然の中で楽しい奥州街道サイクリングができたと思う。 そして3日目は、短い距離ながら、杉並木が残っている日光街道を五感で体験しながら自転車旅をすることができた。 ざっと、こんなところだろうか。 あと、今後、日焼け止めの塗り忘れにには十分気をつけようとも思った。今回の大きな反省点である。 これで、五街道のうち4つ半を走破したことになる。 残すは、中山道下諏訪〜日本橋間のおよそ230km。 自分の気が変わらないうちに、早く残りの中山道を走破したいという気持ちで溢れていた。 夏休み中は時間的に難しそうであるが、冬になってしまうとと雪で和田峠を越えられなくなる。 11月の大学祭の期間は大学の講義が休みになるので、そこで最後の五街道自転車旅をやるのがよさそうだ。 電車の中で、私は既に次の旅への思いを馳せていた。 最後になりますが、この日光・奥州街道自転車旅の間にお会いした方々、応援してくれた友人やサークルの仲間たち、心配を色々とかけた父母・祖父母・弟など、様々な人の協力なくして、無事に旅を終えることはできませんでした。 そして更新が遅くなりながらも、このHPに来て私の拙い文章を読んで下さった全ての読者の皆様のおかげで、なんとか文章を書ききることができました。 この場をお借りして、深くお礼申し上げます。ありがとうございました。 旅の軌跡(地図) |
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