12 小山宿〜13 新田宿 栃木県小山市
現在小山 (〇おやま ×こやま) は、鉄道の要衝地として知られる。 東北新幹線の駅もある小山駅。そこから西へは、桐生・前橋といった群馬県の都市へ行ける両毛線が伸びている。 また東へは、下館(現:筑西市)・水戸方面へ伸びる水戸線へ小山駅で乗り換えることができる。 自分は大学生になってから一度、ここから両毛線に乗ったことがある。あの時は前橋から高崎に出て、そこで上信鉄道に乗り換えて富岡製糸所に行った。 まだ当時は世界遺産になっていなかったので、富岡製糸所はあまり人はいなかった覚えがある。 そのように、「電車の乗り換えの場所」のイメージしか持っていなかった小山。しかし江戸時代には、日光・奥州街道の12番目の宿場町だった。 なかなか規模が大きい宿場だったようだ。
確か事前に調べたとき、旧道は「小山宿通り」と名がつけられていたはず。だが前述の通り、時間が押しており距離を稼ぎたかったのでここでは新道を進んだ。 その新道沿いに、小山の街の歴史を語る上で欠かせない須賀神社がある。 この神社にどんな歴史があるのか。実はここが、関ヶ原の合戦のきっかけになった「小山評定」が行われた場所なのである。
日光・奥州街道編では初めてだが、ここで8割自分の備忘録用のまとめを…… 小山評定の碑が、神社の入り口のすぐ右側(北側)に置かれていたので、写真をパチリ。 日付を見ると、設置されてからまだ2年しか経っていなかった。 下調べの段階では、この碑についての情報が手に入れられなかったことも頷ける。 なおこの神社のすぐ隣、一本隣の旧道には史跡になっている脇本陣があるようだが、今回はスルーさせてもらった。 日焼けに悩まされながらも、先ほどの栄養補給のおかげで進む元気は完全復活していた。 いつか乗った両毛線の線路を越え、さらに北上していく。 |
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