11 間々田宿〜12 小山宿 栃木県小山市
肌のヒリヒリのせいで、どんどんスピードがおちていく。確か15km/hほどしか出ていなかったという記憶がある。 それでも間々田駅の近くまでなんとかやってくることができたが、目的地まではまだあと37kmもある。 体力的に本当に宇都宮まで走れるのか、心配になってきた。 自転車を乗り捨て電車で宇都宮まで移動し、次の日また戻って再スタートしなければならないかも……という考えが頭を巡るほど、完全に弱気になっていた。 仕方なくコンビニで休憩を取ることに。古河宿の手前で休憩したばかりだったが仕方がない。 トイレを借りて、洗面所で火傷をしている腕を冷やす。 そして普段は全く飲まないのだが、エネルギー補給として某有名ゼリー飲料を買って文字通り10秒チャージをした。 ストレッチなどをしつつ積極的休養を20分ほどした結果、気力が沸いてきた。 ダメなときはダメで、その時は電車を使えばいい。とりあえず行ける所まで行ってみよう。 そんな風に考えることのできるゆとりが生まれた。心に余裕ができたところで、再出発。 1kmほど進んだところが、間々田宿の中心地だった場所。 問屋場(通行人に馬などの提供をした場所&荷物の積み替えを場所)・本陣(大名などの偉い人が宿泊した場所)などの跡地が続く。 地元の商工会をはじめとする団体が設置した、薄くて簡素な看板がいくつもあった。 問屋場跡地が、東京から72kmの地点。尺貫法に換算すると、18里と3分の1ほどである。 日本橋を出発した旅人なら、2日かけてようやく到着できそうな距離だと言える。 その先には、徳川の時代よりはるか昔からあった間々田八幡宮。 立ち寄っても良かったのだが、先ほど野木神社を散策してこともあり、入り口で写真を撮るだけにした。 ここにも先ほどと同じ、簡素な看板が設置されていた。 間々田宿の見学は以上。先ほど復活した気力が保っているうちに、先へ進む。 間々田〜小山間の日光・奥州街道の南半分は国道4号と一致しているが、北半分は一致していない。 北半分はどちらを走ろうか考えたが、気分が少しでも良い間に距離を稼ぎたかったので、旧道ではなく新道の国道4号を進むことにした。 そうこうしている間に、小山の街が近づいてきた。 |
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