07 栗橋宿〜08 中田宿 埼玉県久喜市(旧栗橋町)〜茨城県古河市
栗橋は、日光街道としては唯一の関所があった場所。 東海道の箱根関所と中山道の碓氷関所と並び、江戸から近い「関東三大関所」の一つに数えられた関所だった。 橋の近くには、関所があったことを示す石碑があった(実はこれを見つけるのに、道を行ったり来たりしてしばし時間がかかったのは内緒である)。 碑の解説文によると、これは大正13年(1924年)に作られたもので、昭和60年(1985年)に利根川の堤防の工事で現在の位置に移動されたという。 現在の利根川は千葉の銚子と茨城の神栖の境が河口であるが、安土桃山時代後期までは利根川は東京湾に注いでいた川だった。 そのルートを変えたのが、おおよそ17世紀前半の半世紀に行われた大事業、「利根川東遷事業」である。 この事業に乗り出したのが、徳川家康。一般的には、江戸を水害から守るという目的があったと言われている。 だがそれ以外にも、江戸城を守る堀の役割・水田開発の役割・奥州と江戸(関東)の交易路の役割などを利根川に与えるためだとも考えられている。 そんな治水工事を終え、流域面積が日本最大の河川となった利根川。 当時は船で渡っていたが、現在はもちろん橋が架かっている。 ここを渡れば、少しだけ日光・奥州街道がかすり通っている常陸国に入る。 唯一日光・奥州街道が通る茨城県の自治体は古河市(読み方は「こが」で、ふるかわではない)。 よく埼玉県や栃木県の自治体と勘違いされる地方自治体だ。 現在の茨城県には2つの宿場が置かれていた。その1つが、利根川の左岸(北側)にあった中田宿である。 |
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