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05 杉戸宿〜06 幸手宿   埼玉県杉戸町〜埼玉県幸手市

 長距離走るトラックはバイパスのほうの国道4号を走るからであろうか、旧国道4号は車の往来がそれほど多くなかった。 春日部から5kmちょっと走れば、あっという間に5番目の宿場、杉戸宿のあった辺りに到着した。

 現在の杉戸は埼玉県で最北に位置する町であるにもかかわらず、東京都心への通勤通学圏である。 一方そこまで開発されていないので、古い建物も多く存在している。

 杉戸町役場の近くにある古い建物の前には、杉戸宿の立て看板があった。確かこの建物は酒造だった覚えがある。

 その先の交差点の名が、「本陣跡地前」。 事前に調べた時も、この近くの日光・奥州街道沿いに本陣の門があるという情報を手に入れておいたので、探してみる。

 少し見つけるのに手間取ってしまったが、何とか本陣跡を発見した。 見つけるのが遅れてしまった原因は、事前調査時にはなかった入り口のフェンス。 このせいで、見かけは一般的な民家の駐車場と何ら変わらない様子だった。 しかも現在では建物はなく、門と松の木があるだけ。説明板など無く、事前調査がないと間違いなく通り過ぎてしまっただろう。

 旧道はその先右に大きく曲がった後、再び国道4号と合流する。 道路状況は及第点だったが、この辺りから思わぬ敵と闘うことになってしまった。

 その敵とは、「日焼け」である。 夏の強い日差しの中のサイクリングにもかかわらず、出発前に日焼け止めクリームを塗るのを完全に忘れていた。 そのため、少しずつ肌がヒリヒリし始めてきたのだ。 完全なる自業自得だが、一種の火傷と言える日焼け。 思いの外、体力をじわじわ奪っていく。

 杉戸町を出れば、隣の幸手市に入る。この市町村の境界は、ちょうど二つの宿場のほぼ中間に当たる。 次の宿場まで、ここからあと2.5kmほど。

 なお次の幸手宿は、日光御成街道(にっこうおなりかいどう)と日光街道が合流する場所だった。 日光御成街道は、本郷追分(東京都文京区:ちょうど東京大学の農学部門前)で中山道と分岐して、現在の川口市を経由し幸手に至る道である。 この道の宿場の数は、幸手宿を入れて6つあった。


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