04 粕壁宿〜05 杉戸宿 埼玉県春日部市〜埼玉県杉戸町
春日部駅周辺までの旧日光街道沿いには、いくつもの店のシャッターに宿場関連のアートが施されていた。 「シャッターアート」という言葉を耳にしたことがあるが、おそらくその類のものだろう。 国道を曲がってから1kmほど走れば、駅に通ず道との交差点にぶつかる。 「かすかべ」は現在「春日部」という字を使っているが、昔は「粕壁」という字を当てていた。 今の漢字は鎌倉時代の武士の名前を当てたもので、昭和19年(1944年)から使われている。 春日部と言えば、左の写真のコイツが主人公のアニメの舞台として有名。 既に国民的アニメの地位を確保しているこのアニメ。当然、自分も春日部と言えば真っ先にこれを思い出す。 自分が生まれる少し前から放送されているアニメなので、自分と同じ世代の人は、このアニメを見て育ったと言っても過言ではないだろう。 市のほうも、そのキャラクターを使ったイメージアップを図っているようだ。 観光協会の前には、大きなパネルが置いてあった。 また、ちょうど夏の甲子園の時期で、出場した春日部の高校の応援も街を挙げて行われていた。 ただし肝心の観光協会は、月曜休館で閉まっていた。そのため、春日部のパンフレットは入手できず。 どうしてこうタイミングが合わないのだろうか。 今はアニメのイメージが強い春日部。そんな春日部も一世紀以上前には、日光・奥州街道の宿場として栄えていた。 日本橋を朝早く出発すると、4つ目の粕壁宿で夕暮れ時になることが多かったという。 本陣や問屋場などの遺構は一切見当たらなかった。信用金庫の建物の前に簡単な粕壁宿の解説文が設置されていたくらいだ。 4つ目の宿場を制覇。少し昼時には早いが、ここで昼食をとることにした。 春日部駅前にある、目についた中華料理屋に入った。 ここまで千住で団子・草加で煎餅を食べた上、越谷のコンビニにも寄った。それでもなぜかお腹は減る。 注文したラーメンと大盛り御飯は、あっという間にスープも含めて全部食べてしまった。 お腹が満たされたところで、春日部を出発。日本橋から、寄り道を含め40kmほどしかまだ走っていない。 ここから宇都宮まで、まだ70km以上も離れている。少しペースを上げないといけないだろう。 振り返ると、午前中は交通量との闘いがメインのサイクリングだった。 これからの道は多少車の数が少なくなるので、車への注意は今までより少なくて済むのは嬉しい。 しかし実際には、新たに登場した予期せぬ敵と闘わなくてはならなかったのだが…… |
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