始 日本橋〜01 千住宿 東京都中央区〜東京都足立区
滞在場所の最寄駅から、始発電車に乗る。数度乗り継いで、東京駅に到着したのは朝6時半。 平日とはいえ、まだ朝の通勤ラッシュには早すぎる時間。 分解した自転車も邪魔にならず持ち運べた上、ほぼ全区間椅子に座ることができた。 朝の東京駅は、所々の通路がまだシャッターが下りていて、思うように進むことができなかった。 いつもより数段難易度が上がった東京駅の地下ダンジョン。 それでもなんとか攻略して、何とか東側の出口、八重洲口に出ることに成功した。 自転車を組み立てていると、とあるご夫婦に話しかけられた。 お二人は、山形へ登山に行くそうで、今は乗る新幹線を待っているという。 組み立て完了。自転車を日本橋まで押していく。朝早いというのに、もう出勤途中の人がちらほらと見受けられた。 もしかしたら警備か何かで、徹夜で働いた後の朝帰りの方々もいたのかもしれない。 日本橋に到着。ここは、今までの2回の街道自転車旅ではゴール地点だった。 京都三条大橋からはるばる来た時の達成感は、今でも忘れられない。 そんな思い出深い日本橋も、今回3度目の街道自転車旅では旅の始まりの地。朝の日本橋は、人も車も随分少ない。 出発の前に、橋の中央にある日本国道路元標のところに行く。 これができるのも、朝の交通量が少ない時間帯だけだろう。 今までの2回の日本橋は夕方で、交通量が尋常ではなく道路の真ん中に行けなかった。 それ以外にも魚河岸発祥の地の碑など、この間来たときに見たものをもう一度復習し、十分日本橋を堪能する。 いよいよ日光・奥州街道自転車旅をスタート。まずは北上し、三越本店の前を通る。 4つ目の信号を右に曲がった道が、旧日光・奥州街道になる。 大都会中の大都会の中を走る。都会はサイクリングに不適と言われているが、この時は時間的に交通量が少ないので走りやすかった。 信号にはよく引っかかったので、そこまでスピードは出せなかったが。 於竹大日如来井戸跡というものが途中にあった。だが、説明文を読んでも「???」だった。 申し訳ないが、知らない人が読んでも全く分からない説明板は勘弁して欲しい。 大通りに出たので、地図をよく見て正しい道を進んだ……つもりだったのだが、なぜか隅田川を渡って両国へ来てしまった。 何かおかしいと思った時点で、すぐに交番に立ち寄って正しい道を聞いたのは大正解だった。 このままだと気づかずに、千葉方面に進んでしまっていただろう。 国道6号の浅草橋からは、柳橋と屋形船が見られた。とある葛飾区の派出所のマンガによく出てくる光景だ。 正直大都会の中で、こんな光景が見られるとは思っていなかった。 この橋を渡れば、東京下町の代名詞、浅草に入る。 浅草に来たからには、1400年の歴史を持つ、雷門の浅草寺に寄らない訳にはいかないだろう。 前に一度高校の友人と観光に来たことはあるのだが、もちろんその時は電車で、自転車ではなかった。 フラフラっと雷門の前にやってきた。雷門の前の交番に行き、最寄りの駐輪場がどこにあるかを聞く。 東側の、水上バスの乗り場の近くにあるというので一度そちらに自転車を置いてくる。 改めて雷門の前に立つ。よくテレビやマンガで出てくる光景だ。 朝早かったが、観光客はゼロではなかった(自分も観光客の一人なのだが)。 中に入る。仲見世(商店街)のたいていの店はシャッターが下りていたが、朝8時でもやっているところはやっていた。 仲見世を通り抜け、参詣を無事済ます。ステッカー型お守りでもあれば頂こうかと思ったが、ステッカー云々以前に朝早すぎてお札やお守りの受け取り場所は閉まっていた。 帰り際、名物の人形焼の店が開いている店があったので立ち寄った。 土産ではなく、今後の行動食として人形焼をいくつか購入した。 浅草寺見学を終え、もう一度駐輪上へ。吾妻橋と東京スカイツリーのツーショットは絵になる。 もうちょっと雲が少なくて青空が見えていたらもっとよかったのだが、天気が悪いわけではないので贅沢は言わない。
あと、橋の向こう側にあるあの筋斗雲みたいなオブジェは一体何なのだろうか。
確か前に来た時もそんな疑問を持った気がする。 自転車と無事再会し、隅田川に沿って北上する。 途中、通るべき道から外れていることに気付いた。都会は、正しい道を辿るのは難しい。 少し時間がかかったが、地図や看板などの情報から軌道修正させ、本来の道に戻ることができた。 旧道を忠実にたどるのには失敗したが、南千住駅の南側まで来た。 自転車は線路の下をくぐる道路を進めないのはよくある話。ここは自転車を担いで、歩道橋を歩いて突破した。 その先の千住大橋を渡れば、最初の宿場、千住宿のあった場所だ。 |
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