30 塩尻宿へ戻る  中山道(後半)自転車旅 プロローグへ戻る  中山道表紙  28 和田宿へ進む


29 下諏訪宿〜28 和田宿  長野県下諏訪町〜長野県長和町(旧:和田村)

 8ヶ月ぶりにやってきた、中山道と甲州街道の分岐点。私にとっては、京都三条大橋や東京日本橋の次に重要な場所である。

 まずは、前回と同様に、近くの諏訪大社下宮秋宮に行く。 前回訪れてからやり遂げた、甲州街道・日光街道・奥州街道自転車旅を報告し、最後の中山道後半自転車旅を無事に終えられるように祈願する。

 ちなみに、諏訪大社下宮秋宮には別の自転車乗りがいた。そのオジサンと軽く話をする。 その方から、周囲の峠にはまだ雪が積もってないという情報を得て、安心する。

 その後、これまた前回と同じく、下諏訪名物塩羊羹を手に入れるために、明治6年創業の老舗和菓子屋、新鶴本店へ赴く。 前回同様、1本900円の高級羊羹を入手。

 なお、店の中に五街道の宿場が記された地図がおいてあったので、写真を一枚。 五街道のうち、既に4つ半は制覇している。のこり0.5個分も、今から挑戦する。その地図を見て、志気が上がってきた。


 中山道・甲州街道分岐点に戻る。その分岐点の碑のすぐ近くに下諏訪宿本陣がある。 中山道随一の名庭園と言われるここ下諏訪宿本陣。 ゆっくりと見ていきたかったのだが、これからの和田峠越えにかかる時間が未知数なので、グッとこらえる。 下諏訪にはまた来る機会をつくるので、その時までの楽しみに取っておく……ということにした。 

 いよいよ、中山道後半自転車旅のスタート。 まずは中山道最大の難所、和田峠越え。標高は1500m越えで、現在地点から700mほど上る必要が。 気合を入れて出発する。

 諏訪大社下社春宮を左手に見つつ自分のペースでゆっくりと上っていくと、間もなく国道142号バイパスと合流する。 合流地点以降は、交通量がこれまでの倍以上となった。標高900mを示す看板がそのすぐ先にあった。

 適宜歩道に避難しつつ、どんどん上る。時々見かけた、中山道を示す案内板がテンションを上げてくれる。

 8か月前の中山道木曽路の寒さを覚悟していたが、気温は10度を上回っており、暖かかった。 むしろ、ずっと上り坂だったので少し暑いくらいだった。

 途中、樋橋(とよはし)茶屋跡と書かれた大きい木の看板と、幕末の水戸浪士の墓が街道沿いにあった。 当時の雰囲気をイメージしつつ、上っていく。

 標高1200mを超えたことを表す看板からしばらく進むと、中山道53番目の一里塚である西餅屋一里塚跡を表す、下諏訪町教育委員会の看板あった。 国道から一度離れねばならないので、今回はスルーさせてもらった。

 標高1300m地点に到達。旧道と新道の分岐点が見えてきた。 新道は、50円払えば、新和田トンネルを通って一気に和田峠を通過することができる。 トンネルの入口まで走って、小休止。旧道に行くかしばし考える。

 自分の身体と相談の結果、ここから200m上る体力はまだあると判断し、旧道に行くことにした。 ここで旧道に行かないと、後で中山道を走破したと胸を張れない気もしたことも大きい。

 旧道に入ると、車の数が大きく減った。斜度を無視すれば、車に怯える必要がないので、非常に走りやすい。 それでも時々は車が通る。驚いたのは、一度大型トラックが来たことだ。1700円のトンネル料金が惜しいのであろうか…

 次第に、尾根沿いの道路、ビーナスラインが見えてきた。 霧ヶ峰高原を満喫できる、自転車も通行可能な観光道路。十分な体力とともに夏に走ると気持ち良いであろう。

 中山道・甲州街道分岐点出発から1時間半。ついに和田峠(和田峠トンネル)にやってきた。 ホントの旧道は、もう少しだけ上ったところにあるが、これで自転車で中山道を走ったと胸を張れるはず。

 トンネルは一車線のみの幅しかない。 トンネル走行中に対向から車が来ると危ないので、信号が青になった瞬間、スピードを一気にあげてトンネルを走り切る。

 峠から和田宿までは、再び700mの標高差がある。今まで貯めてきた位置エネルギーに身を任せつつ、一気に下る。

 和田峠は、地学徒には黒曜石の産出地として知られる。石器やメスなどに使われた岩石である。 下っていると、黒曜石という看板がある、いくつかの売店・茶屋が目に入った。 ただし、11月下旬で開いている店は見受けられなかった。

 しばらく下ると、新和田トンネル経由の新道と合流する。交通量が元に戻る。

 合流の丁字路からすぐに、江戸から51里目の一里塚である唐沢一里塚を過ぎる。 下っていると手が冷たくなってハンドルを握る力が弱くなるので、適宜途中で休憩を入れる。


30 塩尻宿へ戻る  中山道(後半)自転車旅 プロローグへ戻る  中山道表紙  28 和田宿へ進む