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28 和田宿〜27 長久保宿  長野県長和町(旧:和田村〜長門町)

 下諏訪宿を出発して2時間半ちょっとで、和田宿に到着。 和田峠から一気に700mも下ってきた。 まずは高札場の場所を訪れ、説明板を読む。

 その先には、資料館と休憩所と喫茶店を兼ねている某施設がある。 事前に情報を仕入れていたので、当初はそこで昼食にするつもりだった。 ところがこの日は定休日らしく、閉館していた。やむを得ず、通過する。

 和田宿の本陣にやってきた。せっかくなので、入館料を支払って見学していくことに。 これまで一つひとつの宿場は通りつつ雰囲気を感じてきたが、きちんと中山道の施設を見学したのは、木曽福島の関所以来である。

 入口近くには、黒板に白チョークで書かれた五街道の模式図があった。 また、本陣には学芸員の方がいらっしゃり、五街道と和田宿の説明を丁寧にしてくださった。

 その後は、築150年超え(1861年建築)の木造建築の雰囲気を感じつつ、建物の中を見学していく。

 本陣内には屏風が複数あり、文献等が多数展示されていた。 ここ和田宿本陣に宿泊した、皇女和宮関連の記述が多かった。 大湫宿〜大井宿のページでの補足の通り、自分はあまり興味が沸かないのだが。

 展示品は見るだけで楽しめるのだが、私は崩し字を読めないので、文献は解説に頼らざるを得ない。 崩し字が読めたらもっと面白いのだろうと、博物館等を見学するたびに思うのだが…

 これから和田峠を越えて下諏訪宿を目指す、街道徒歩旅のご夫婦も本陣を見学していた。 少し話をしたが、徒歩で中山道を巡る人はそれなりにいるそうだが、自転車の人はやはり少ないそうで、珍しがられた。 多くの人が江戸から京都へ向かうとすると、逆方向の自分はきっとこれから多くの中山道徒歩旅の方に会うことになろう。

 本陣見学後は、「歴史の道資料館かわちや」なる所を訪れてから、再出発。 時間があれば黒曜石の資料館も覘きたかったのだが、先を急ぐことを優先した。

 次の長久保宿までは2里ほど。まだしばらく下り坂が続く。標高差はおよそ150mである。 交通量が少ないこともあるので、新道に合流するまではしばらく旧道を進む。

 和田宿〜長久保宿間には、一里塚が2ヶ所あった。 一つ目の芹沢一里塚の跡(江戸から49里の一里塚)は確認できたが、残念ながら、二つ目の四泊一里塚の跡は気が付いたら通過してしまっていた。 ガードレールの向こう側に説明板があったことを、後になって知った。

 国道142号線と国道152号線の分岐点である、長久保交差点(Y字路)に到着。 ホントはここで右方向に曲がるのが正解だったが、間違えて左方向に曲がってしまった。 幸いすぐに間違いに気付いたので、舗装されている畦道を通ることで、進む方向を修正できたのだが。


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