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01 板橋宿〜終 日本橋  東京都板橋区〜中央区


 板橋宿のあった場所は、今の都営地下鉄三田線の板橋本町駅からJR埼京線の板橋駅までの間に相当する。 上方側から、上宿(現在の本町)、中宿/仲宿、下宿/平尾宿(現在の板橋)と、3つに大きく分けられた。

 東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、日光・奥州街道の千住宿と並び、江戸四宿の一つとして数えられる板橋宿。 旅人のみならず、見送りのためにここまで来る人も多数いたこともあり、かなり栄えたようである。

 また、ここ板橋は、中山道と川越街道の分岐点でもあった。 川越街道は、その名の通り、小江戸の1つ、現在の埼玉県川越市へ至る街道である。 幕末にタイムスリップした設定の某歴史医療マンガでも、主人公が川越街道を下って川越に向かう場面がある。

 国道17号を走っていると、右手前側からの首都高速と合流する。ここで旧中山道は国道17号と分かれ、Y字路の左手の道となる。

 板橋宿に入る。今は住宅街になっているようだ。


 縁切り榎(えのき)という宿場の神社の御神木を過ぎて間もなく、1つの橋が現れる。

 この石神井川に架かっている橋こそ、地名の由来となった「板橋」。 「板橋」周辺の石神井川両岸には桜と思しき木が植わっており、桜の時期には見事な景色になることが想像された。

 「板橋」にある木製の里標によると、残る中山道は、2里25町23間(10.642km)。


 ここから先、仲宿は商店街になっている。スピードを落として、必要に応じて自転車を押して進んでいく。

 その先の昔の平尾宿に入ると、徐々に住宅街の様子を呈してくる 特に、国道17号を渡った先からJR板橋駅までの間は、完全に住宅街と言って良かった。

 JR埼京線の踏切を渡る。板橋宿のあった場所はおおよそこの辺りまで。板橋区から北区へ入るが、その先すぐ豊島区に入る。



 都電荒川線の踏切で、路面電車が通るのを少し待つ。近くの駅で乗り降りする人が見受けられた。

 線路の先は巣鴨。旧中山道は「巣鴨地蔵通商店街」となっている。テレビとかでも時折紹介される場所だ。

 商店街の地蔵とは、通り沿いにある高岩寺という寺院の「とげぬき地蔵」のこと。 身体や心の病気の棘を抜くという言われで、多くの参拝客が訪れるとのこと。


 巣鴨地蔵通商店街では縁日が開かれており、ご年配の方々を中心に、たくさんの人で賑わっていた。 この賑わいの中では、とても自転車に乗ることはできないので、ゆっくりと自転車を押して進んでいく。

 当然食べ物の店もあり、至る所から香ばしい匂いが漂っていた。

 とげぬき地蔵の前を過ぎれば、再び国道17号と旧中山道は一致する。 巣鴨地蔵通商店街の先、JR巣鴨駅周辺も賑わいをみせていた。山手線の中に入る。

 片道3車線で、自転車が快走できる道だ。千石(せんごく)まで来れば、日本橋まであと6km。

 文京区は学生の街。住んでいる京都と同じ雰囲気がある。10分ほどその雰囲気の下でサイクリングしていると、中山道最後の一里塚、追分一里塚にやってきた。

 日光・奥州街道杉戸宿のページでも述べたように、日光御成街道はここ本郷追分から、現在の埼玉県川口市を経由して、杉戸宿の次の幸手宿に至る道である。


 本郷追分の先は、左手に東京大学本郷キャンパスがある。有名な赤門の前を通り過ぎる。

 この赤門は、19世紀に建てられた加賀藩屋敷の門なので、江戸時代からここに存在していたことになる。 赤門周辺には東大生以外にも、何人か観光客や受験生と思しき人がいた。 記念写真を撮っている人も見受けられた。

 本郷三丁目の交差点まで来れば、残る中山道はあと3kmちょっと。そのまま進めば、もう10分ほどで中山道の旅を終えられる距離だ。



 だが、中山道自転車旅の最後に、どうしてもやっておきたいことがある。それは、神田明神への参拝である。

 江戸の総鎮守の神社であり、江戸三大祭りの1つの神田祭の開催地でもある神田明神。 某東京の派出所マンガでも何度も描かれている。前々から、中山道自転車旅の最後の観光地に決めていたのだ。

 湯島聖堂が右手に見えたタイミングで、旧中山道を一旦逸れ、神田明神に寄り道する。

 夕方のこの時刻、参拝に来ている人は疎らだった。 無事にここまで来られたお礼、そして最後の最後の2kmを事故なく終えられることをお祈りする。

 神田明神を発つ。あとは心置きなく日本橋へゴールするのみ。 なお、途中、秋葉原で少し道を間違えてしまったのは内緒である。

 神田駅の高架下を通過。あと900m。 ゴールしたいという気持ちと、まだしたくないという気持ちが自分の内界でせめぎ合っている。


 そのせめぎ合いを感じていると、肉眼でもゴールが見えてきた。

 最後の信号待ちは、日光・奥州街道との合流点だった。 残る400mは、日光東照宮や白河を目指して意気揚々と走り始めた道と同じ。

 3ヶ月前の旅をほんの少しだけ振り返っていると、信号が青になった。いよいよ最後だ。

 午後4時56分、日本橋到着。
 中山道自転車旅、そして五街道自転車旅を終えた瞬間だった。




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