現在の蕨(わらび)市は、全国の市の中で最も面積が狭いこと、 そして市区町村を五十音順で並べた時に最後となることの2つで、よくクイズとして出題される街である。
そんな蕨の宿場跡にやってきた。 宿場の入口には、新しい石碑と木戸のようなものがあった。
宿場の中にある看板を見ると、蕨の本陣跡の隣には、歴史民俗資料館があると分かる。 時刻的には全く問題ないので、資料館に立ち寄ることにする。桶川宿以来の資料館だ。
ところが、資料館の前に行くと、どうやらやっていない様子。 この日は三連休最終日の月曜日。そして資料館は月曜休館。なんということでしょう。
致し方ないので、蕨は宿場の雰囲気を味わうのみで我慢する。 甲州街道の日野宿の本陣跡と同様、ここもそのうち再訪することとしたい。
蕨宿を出ると間もなく、中山道沿いでは埼玉県最南端の街、戸田市に入る。 関東では随一のボート競技のコースがある街として知られる。
そう言えば、甲州街道の日野宿も多摩川の川越え(日野の渡し)があったことを思い出す。 渡しが近くにある宿場は資料館休館となるジンクスでもあるのだろうか……。
まあ考えても仕方ない。現在はもちろん荒川には橋が架かっているので、この戸田橋で川を越える。 この荒川が、埼玉県と東京都の県境である。
県境を示す看板のところでは、中学生と思しき男の子2人がお喋りをしていた。 その脇を通り、東京都に入る。
道はそれなりの交通量だが、舗装状況の観点を含めると、思った以上に走りやすい。 東海道の時と同様、東京都に入ったからといってすぐに高い建物が現れるわけではないということもあろう。
戸田橋から2kmほどで、旧中山道は環八通りと交わる。ゴールの日本橋まであと14km。 この交差点の少し先から、しばらく国道17号は、都営地下鉄三田線と並走する。
地下鉄の駅の入口をみると、メガロポリス東京にやってきたことを実感する。