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48 坂下宿〜47 関宿(前半)    三重県亀山市(旧関町)

 鈴鹿峠から少し下った場所には、坂下宿があった。当時はかなり大きな宿場町だったようだが、 鉄道がここを通らずに柘植(つげ)回りで建設されたため、この宿場町は廃れてしまった。 現在はほとんど当時の面影を偲べるものはない。日が沈みかけていることもあり、この宿場町は見学せずに通過する。




. 再訪: 2015年09月01日

 坂下宿を訪れたのは、それから約2年後のことである。

 この時、前回は避けることができた夜の峠越えをする羽目になってしまっていた。 なんとか鈴鹿トンネルを突破するところまでは来られたが、文字通りの「一寸先は闇」の中の下りは危険極まりない。 一瞬の油断が比喩ではない命取りになるので、慎重に慎重を重ねて下って行く。

 その真っ暗の鈴鹿越の途中に、坂下の集落に立ち寄ることにした。 国道1号を外れ、細くて真っ暗な道をチャリのライトだけを頼りに進む。

 どうにか無事に、坂下の集落に到着した。集落でも灯りは少なく、現在地が良く分からない。スマホで位置を確認し、遺構を探す。

 「ほとんど当時の面影を偲べるものはない」と↑で昔の自分は書いたが、それでも本陣跡の石碑は存在した。 ただし2年前の自分にそのことを伝えても、十中八九スルーしてしまっただろう。 なにせ、あの時は東京まで行く「ついで」に53または57の宿場町に寄ったのだから。

 そうして夜の坂下宿を見学した自分は、再び自転車をこぎ出すのだった…




 案内標識には名古屋まで79kmとある。京都から名古屋の中間地点はそろそろだ。

 信号待ちの時に原付に乗ったオッチャンに声をかけられる。
「どこへ行くんだ?」
「東京までです」
「わしも今からこいつで東京へ向かうんじゃ。明日の朝につく予定や」
 うーん、このオッチャンは本気で言っているのだろうか?それとも冗談なのか? 表情から読み取ることはできなかった。

 坂を下りきったところで、関宿の案内板が。旧道に入ると、そこが宿場街だ。

 関宿は東海道の中で、一番街並みが残っている宿場町だ。 明治時代になっても、江戸時代の生活様式を変える必要がなかったからである。 現在は国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。

 今晩泊まる予約を入れておいた宿、「石垣屋」を探す。 木造住宅が続いているため、見落としそうである。 幸いなことに暖簾のおかげで、なんとか通過することなく見つけることができた。

 石垣屋は数年前に開業した、古民家の旅人宿。 関宿の町で一泊できるのなら是非、と前もって予約を入れておいたのだ。 寝袋持込みの素泊まりで2500円。安い。

 石垣屋のご主人と飼い犬のくりこに迎えられ、宿の説明を受ける。 この宿は基本相部屋だが、それに気付かず文句を言う人が時々いるらしい。 自分としては雨風がしのげればそれで良いので、全く問題のない話だ。 いや、むしろ相部屋大歓迎。旅は一期一会。そんな中他の旅人との交流も旅の醍醐味であろう。

 自転車を置かせてもらって、少し関の町を散歩する。オレンジ色の空、そして薄暗さ、ほのかな街の明かり。 何とも趣深い場所だ。江戸時代とまではいかないかもしれないが、昔に戻ったようだ。とても平成の世とは思えない。

 宿に戻ると、奥さんと子供達が戻られていた。それから、今晩一緒に石垣屋に泊まる若いお姉さんと、 石垣屋のご主人の車で近くにあるホテルの共同浴場に行く。 聞けば、広島から来た方だという。仕事を休んで、ここ三重に来たらしい。明日は伊勢神宮へ向かうそうだ。

 外から丸見えの風呂で半日分の汗を流した後、今度は夕食を食べに3人で宿のご主人が良く行く居酒屋へ。 ただし、自分は未成年なので水を飲む。猛暑の中を走ってきたので、体は多量の水を欲していたようだ。何杯も水のおかわりをする。

 夕食は亀山のB級グルメになりつつある味噌焼きうどんをいただく。 うどんを野菜や肉と一緒に鉄板等で焼いて味噌ダレで味付けをしたものだ。 それを食べつつ、地酒を飲んでいる二人の大人、そして地元のオジサンオバサンとの会話に花を咲かせる。 石垣屋の成り立ちについても教えてもらった。

 そして、ご主人と広島のお姉さんが注文した海ぶどうや鹿肉を少しつまませてもらった。 海ぶどうは初めて食べたが、それ以上に感動したのは、鹿肉が生なのに全くにおわないことだ。 マグロの刺身のような触感だが、味はローストビーフのような感じで、口の中でとろける。 店のご主人いわく、仕留めた後すぐに血を抜くことで、あまりにおわなくなるそうだ。

 「三重は良いところだね、食べ物もおいしいし、人も良い人ばかり。いっそここに引っ越そうかな」  広島の美人のお姉さんがほろ酔いの顔でそう言った。三重に入ってまだ数時間しか経っていないが、自分も本当にそんな気分になった。

 楽しいひと時を終え、石垣屋に戻る。今度は、もう一組の一緒に泊まる2人と話をする。 彼らは神奈川からの中学3年生。ここまで自転車で旅をしてきて、自分とは反対に明日京都まで行き、 それから目的地の大阪を目指すそうだ。中学生で長距離の自転車旅とはあまり聞かないので、驚いた。

 「学校での作文コンクールの入賞者が、自転車で横浜から名古屋まで旅をしたことを書いていたんですよ。 そこで僕らはもっと遠くへ行こうと決めて、目的地を大阪にしました。今日は4日目です」

 いやー、すごいな。男子中学生2人の行動力には感心する。自分も負けてられないな。 ただ、せっかくの旅ならもうちょっと下調べしてからのほうがいいんじゃないのかな? ここに来るまで東海道宿場町の存在に気付かなかったそうだ。

 彼らと日付が変わるまで話し込んだ。それぞれの学校の話、これから行くであろう箱根峠の話、 京都の観光地の話など、話題は尽きなかった。楽しい夜だ。

 しかし、さすがにほどほどで寝ないと明日の行程に支障が出る。 今日までテストがあってただでさえ疲れているのに、そこに80kmほどの自転車旅。 それは明日三重側からのキツイ鈴鹿峠越えをする彼らも同じ。そういう訳で寝袋を敷いて横になる。 午前中のテストがずいぶん昔のことに感じられるほど、今日は濃密な自転車旅だった。 そんなことをぼんやりと考えているうちに、いつの間にか夢の世界へと入っていった。


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