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42 桑名宿〜41 宮宿    三重県桑名市〜愛知県名古屋市熱田区

 桑名市は、国内2番目の大型テーマパークのナガシマスパーランドをはじめ、 多彩な観光資源がある三重県下屈指の観光都市だ。 もちろん、この観光資源の中には東海道五十三次の一つ、桑名宿の七里の渡しも含まれている。

 江戸時代、この桑名宿から次の宮宿までは東海道唯一の海上路だった。 名の通り距離は7里ほどで、当時はその距離を約4時間で結んでいた。

 それから、「その手は桑名の焼き蛤」の諺の通り、桑名名物と言えば焼きハマグリが挙げられる。 そういえば東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛・喜多八も確かここで焼き蛤を食していたような……。 桑名産の蛤は最高級品で、当然のことながらかなりの値段がする。 学生の身分ではとても手が出せない。蛤はスルーして、とっとと七里の渡しの跡へ向かうことに。

 国道1号を桑名駅付近まで進んで、右に曲がる。そこから1?ほど進むと、目的地に到着。 七里の渡し跡は、近くの桑名城跡と共に公園になっていた。

 すっかり晴れた中、自転車を近くに置いて、少しばかり石畳の上を歩いてまわる。 そこにあった看板によると、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風によってこの辺りは甚大な被害を受けてしまったらしい。 その時、堤防が築かれたため、現在は歌川広重の絵の風景とは変わっている。 観光客はあまりいなかったが、研究者らしき人が何人かそこにいた。

 散策もそこそこにして、出発する。いよいよ三重県とももうすぐお別れだ。 本当の旧東海道はここから海を渡るが、現在は名古屋へ向かう船などないので、陸路で向かう。

まず、木曽三川のうちの2つ、揖斐川(いびがわ)と長良川を渡って長島へ。 前述のナガシマスパーランドはここにある。 また、ここは西日本と東日本の境界にあたる場所であり、 方言も京阪式アクセントと東京式アクセントの境目だ。 某テレビ番組で、関西の牛肉のカレーの文化と関東の豚肉のカレーの文化がほぼ半々になるという結果が出たのもうなずける。

 そして、木曽三川のもう1つ、木曽川にかかる尾張大橋が県境。尾張国・愛知県に突入だ。 入ってすぐの案内標識には、名古屋まであと25kmとある。それから豊橋まで79km、そして初めて静岡の文字が。 距離は197kmとある。明日はここまで行く予定なのだが……。先は非常に長い。

 弥富金魚という金魚のブランドで知られる弥富市内を走る。 明治時代になってからできた新東海道は七里の渡しの代わりに陸路を通るルートとなり、 ここ弥富も通ることになった。

 弥富の次の町、蟹江の某牛丼屋で昼食をとった後、名古屋市内に入る。

 名二環(名古屋環状2号線)を過ぎた辺りから徐々に車通りが激しくなってきた。 市街地に近づくにつれ、車線も増えて気づけば片側3車線や4車線になっていた。 さすが三大都市圏の一つである。しかも、国道1号は名古屋駅付近の中心街を通らないのに、この車の多さだ。 いや、中心街を通らないからこそ、運輸などの車はこちらを通るのか。 熱田区に入ると、車通りはピークを迎えた。


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