40 鳴海宿〜39 池鯉鮒宿 名古屋市緑区〜愛知県知立市
鳴海の辺りでは、鳴海寺詣り歌という民謡みたいなものがあるそうだ。その歌の題の通り、 鳴海宿の周辺には寺が多い。ただ、今日は先を急ぐので、鳴海宿はほんの少しで出発する。 昨日も西のほうで通った名二環をもう一度通過すると、 間の宿であった有松宿の辺りに着く。間の宿とは、宿場町の間が長かったり、 峠があったり開いた場合に設置された休憩用の宿のことである。 ここ有松は、街並みが1キロ弱ほど残っている(ただし、今回は旧道に入らなかったので その雰囲気は味わっていない。今考えると惜しいことをした) ここ有松は木綿布を藍染めにする、絞り染めが有名である。 なお、この有松絞りは先ほどの鳴海宿でも売られていたので、 鳴海絞りとも呼ばれている。ちなみに現在はどちらも名古屋市緑区に属しているが、 合併する前は別の郡に属しており、文化的には多少の違いが見られたようである。 前回名古屋から静岡に向かった時は、このあたりで児童の登校の交通整理をしていた 小学校の教頭先生と話をしたのを思い出す。交通量が多い国道1号では、 交通整理する先生は不可欠だろう。 静岡まで167kmの道路案内標識が近くにあったこともあり、 激励の言葉をもらった覚えが。 ただ今回はまだ朝4時台。 そんな黄色い旗を持った人もいるはずもない。同様に、車も本当に少ない。 その小学校のあったところのちょっとした上りを終えて下りに入ると、そこは桶狭間。 教科書にも出てくる、織田信長と今川義元の合戦、桶狭間の戦いがあった場所だ。 圧倒的な戦力の差があった中、信長が勝った戦国時代の重要な転機となった戦いだ。 名古屋鉄道の中央競馬場前駅の近くに、桶狭間古戦場跡の石碑があった。 名古屋市を出て、豊明市へ。しばらく走っていると、 とある世界企業のハンバーガー屋があったので、 朝食をとることに。朝メニューがそろそろ始まる時刻だ。 でも、店の中に入るとまだ朝メニューは提供していなかった。 始まる朝5時まであと5分ほど。言われた通りに待つ。 やっと朝メニューの提供が始まり、ハンバーガーをテイクアウトで購入。 せっかくなので店の中よりは外で食べたほうが良いだろう。再び出発。 早朝の車通りが少ない道路を走り続ける。 そして高速道路の高架を通り過ぎた所で、自転車進入禁止の標識が。 左の脇道に入って、川を渡る。すると、朝日がちょうど昇っていているではないか。 こんな綺麗な景色をじっくり楽しまずに進むなんてもったいない。 この景色を見ながら、先ほど買ったハンバーガーを鞄から取り出して食べる。 最近、朝日が昇っていくところなど見たことがなかった。 もちろん今までの人生の中でゼロという訳ではないが、 思い返してみても多くて十数回のような気がする。 自分が地球という星に住んでいることを実感させられる。どんなことがあっても、 太陽は毎日昇って沈んでいくのだ。人生とはそんな毎日の繰り返しなのか……と 勝手な物思いにふける。 まだ3日目なのに、もうすっかり旅人になりきっている。 同世代の言葉を使うなら、完全に「中二病」ですね。分かります。 そんな旅人は、食事を終えてしばらく朝日を眺めて、 気分が高揚している状態で出発。後から調べると、 この川は豊明と刈谷の市の境になっていることが分かった。 刈谷市内を走ると間もなく、知立市に。旧国名で言うのなら、 尾張国から三河国に入ったことになる。もう少しで、池鯉鮒宿ががあったところだ。 |
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