33 二川宿へ戻る  東海道表紙  31 新居宿へ進む


32 白須賀宿〜31 新居宿    静岡県湖西市〜(旧新居町)

 明治時代の東海道本線建設の時には、この先に待っている潮見坂がネックとなって 白須賀を通らないルートで建設されため、開発されずに当時の雰囲気が残っている (言い換えると明治時代以降街が衰退してしまっていたということだが、数年前に先述の自転車走行不可の 国道1号線潮見バイパスに道の駅潮見坂ができて、この辺りはやや活気を取り戻しつつあるようだ)。

 旧東海道の所々に「〜跡」という標柱も見受けられる。 信号を過ぎると、道路がカクカクと曲がっている所が。 曲尺手(かねんて)と言って、軍事的な役割を果たしたのはもちろんのこと、 大名同士が道中かち合わないようにする役割も持っていた場所だ(近くにあった看板をカンニング)。

 そこを過ぎると、荷物をたくさん積んだ自転車にはちと厳しい上り坂が。 暑い中汗を流して、頑張って上る。そうして坂が終わって進んだところに、学校がある。 そこの脇に、さっきの「夢舞台東海道」があって、 ここの白須賀中学校が潮見坂公園の跡地だったことが書かれている。

 近くにあった案内板を見ると、ここで徳川家康が茶室を作って、 織田信長をもてなしたらしい。また、明治天皇が行幸なさった時にもここを通られている。

 すぐ先には、休憩所+白須賀宿の歴史拠点施設の「おんやど白須賀」がある。 建物が良い雰囲気を醸し出している。コンビニに寄った以外、6時間ほど走りっぱなしだったので ここで一息つけることに決めた。しかし、中で休憩できるという期待は見事に裏切られる。 10時開館で、ギリギリまだ開いていなかったのだ。すっかり昼過ぎのつもりでいるが、 普通の人からすればまだ朝なのだ。仕方ないので、休憩せずに先に進む。

 ここから、潮見坂を下っていく。京から江戸へ旅をするとき、 初めて太平洋を見ることができた場所がここ潮見坂だった。 遠州灘が綺麗である(1本道を間違えて、旧東海道の道を進まなかったことは内緒)。

 また、元々は潮見坂の南側(海側)に白須賀の宿場町があったのだが、 18世紀初めの宝永地震(東海・東南海・南海地震)で以前の宿場町がかなりの 地震・津波の被害を受けたため、潮見坂の北側に移動した……と後日調べて知った。

 坂を降り切って、左に曲がる。国道1号の潮見・浜松バイパスが右手を走る中、 東に向かって自転車を進める。国道1号旧道の左手には田んぼや畑が広がっている。

 その中を通りぬけて、突き当りに出る。すると、そこが旧東海道だった。 左、白須賀宿方面には道の片側に松並木が続いていている。 右に曲がれば、間もなく新居宿に入る。


33 二川宿へ戻る  東海道表紙  31 新居宿へ進む