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29 浜松宿〜28 見附宿    静岡県浜松市中区〜静岡県磐田市

 浜松市は数年前に政令指定都市に指定された。 指定される少し前に周囲の市町村と市町村合併をしたこともあり、 現在人口は静岡県の県庁所在地の静岡市より多い。 工業都市浜松は楽器の町やバイクの町として知られている。 特にピアノは二大大手メーカが両方とも浜松に本社を置いているので、 全国シェア100%を誇っている。

 浜松宿はそんな現在の浜松市中心街に位置していた宿場町である。 距離的にはちょうど東海道においては京と江戸の中間にあたる。 ここには江戸時代、多くの歴代城主がその後江戸幕府の重役に着いたことから 「出世城」といわれた浜松城がある。現在は、浜松市役所の隣に位置している。

 交通量の多い浜松市中心部を進んで、浜松城がある浜松城公園に行く。 到着後、自転車を押して公園内を進む。しかし、工事業者が中で作業しており、 天守閣への通路が通行止めになっていた。スマホで調べると、城の入り口の 「天守門」の工事が行われているとのこと。残念なことに、城の様子がよく分からなった。

 浜松城を出発する。時間は昼時なので、ここ浜松の辺りで昼食をとることにした。 せっかくなので、地元の名物を食べたいものだ。

 浜松の名物といえば、鰻。江戸時代にも新居宿や舞坂宿で天然物の鰻料理が出されてはいたが、 名物となる大きな要因になったのは、戦後に浜名湖が養殖鰻の中心地になったことだ。 それによって「浜松といえば鰻」という構図が出来上がった。

 それから東海道新幹線開通後に浜松土産うなぎパイが広まったことも知名度を増すファクターになった。 ただ、鰻が世界的に少なくなっていて鰻の値段が上がっている今、 金銭的に高級魚の鰻に一学生が手が出るはずもない。 ここは、最近有名になったもう一つの浜松名物、餃子を食すことにする。

 餃子の町としては栃木県宇都宮市が有名だが、 最近は浜松市が宇都宮市を抜いて餃子の世帯当たりの年間購入額が首位になったほど、 浜松餃子はここ最近知名度を上げている。しばらく前まで餃子戦争とも言われるほど、 餃子が原因でこの2都市の仲が悪くなってしまったほどだ(現在は和解している)。 浜松餃子はキャベツをたっぷり使った甘みのある味と、茹でたモヤシを添えているのが特徴だ。

 遠州鉄道の高架を過ぎて、東へ15分ほど、現在国道となっている旧東海道を進む。 一度旧東海道は県道へ入るが、そこからちょっと進んだところに「甘藍屋」という ラーメン屋が。ラーメン屋なら当然浜松餃子も売っていることだろう。自転車を停めて、中へ入る。

 店はまあまあ混んでいたが、昼時よりちょっと早かったので待たずにすぐに座ることができた。 メニューを見て、ご飯と餃子3個ついてくる「ラーメン餃子ランチ」みたいなものを、 無料のご飯大盛にして注文する。疲れた体にラーメンと大盛御飯というボリュームは助かる。

 しばらく待つと、待望のものが運ばれてきた。 まず、目当ての餃子からいただく。浜松餃子にふさわしく、 モヤシもちゃんと付いている。一つタレをつけずにそのまま食べてみる。

 ……甘い。誇張表現でもなく、本当にほんのりと甘かったのだ。 浜松餃子の特徴のキャベツの甘みがきっちりと出ていた。 ニンニクとの相性も抜群である。 結局3つともタレなしで食べてしまった。

 もちろん、ちゃんこ鍋風醤油ベースのラーメンもかなりうまい。 スープは、ラーメンを啜り終った後に中に大盛御飯を入れてしっかり堪能。

 お腹が満たされたところで、再出発。午前中に消費したエネルギーがきっちりと補給できた。 静岡県は東西に長いので、西部の浜松と中部の静岡はけっこう離れている。 名古屋からここまで110km強。そして静岡まであと80km弱。 宿場町を見るとまあまあの寄り道になるので、今日は200kmを超えそうだ。

 国道1号浜松バイパスをくぐって、傍の道を通る。 そうして、天竜川の右岸に至った。

事前にルートを調べていた時、 ここは屈指の渋滞ポイントで車が多く、さらに歩道が無いため天竜川を渡る歩行者や自転車は 非常に危険な思いをするという情報をホームページで得ていたので、それなりに覚悟していた。 しかしそれは今は昔。現在の天竜川にかかる国道1号の橋は上下線それぞれ専用の橋が2本あって、 それぞれ4車線と非常に車がスムーズに渡れるようになっており、ちゃんと歩道もついていた。 そのため、全く危険なことはなく、安全に渡ることができた。

 橋の上には国道1号の250kmポストがあった。豊川の200kmポストから50km来たことになる。 天竜川を渡れば、磐田市だ。


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