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24 金谷宿~23 島田宿    静岡県島田市

 金谷宿は大井川の右岸に位置していた宿場町。 狭い場所ではあったが、橋が架かっていなかった大井川が増水すると川越が禁止されたため、 江戸へ行く旅人が足止めされたので賑わいを見せていたところだ。

 坂を下れば金谷の街。あっという間に金谷駅前に到着。山の中の東海道本線の駅でもあるが、 それ以外にも大井川鉄道の始発駅でもある。大井川鉄道はここから静岡市葵区まで 65kmほど一応は伸びているのだが、終点の井川駅は静岡市街地から50kmも離れた、 南アルプスの玄関口に位置している。上流のほうでは秋には見事な紅葉が見られたり、 SLが現在も走っていたりと、観光資源としては非常に有効なんだとか。

 今回、国道1号に沿って自転車を走らせて来たが、江戸時代は日坂宿と金谷宿への 道は石畳が敷かれていて、旅人はそこを通ってきた。現在金谷坂石畳が数百メートルほど復元されている。 金谷宿見学のため、それを探す。

 ところが、ここで問題発生。なんと、道に迷ってしまったのだ。 正しい道と1本違う山道を行ったり来たりするという、なんとも間抜けなことをしてしまった。 ようやくそのことに気付いたのは、地元住民に場所を聞いた時だ。 完全に骨折り損のくたびれもうけ。

 石畳茶屋というお茶屋さんがあったが、石畳というから和菓子メインでも出しているのかと思ったが、 メニューは喫茶店のメニューで、菓子も洋菓子がほとんどだった。 雰囲気も街中のオシャレなカフェといった感じだ。 このカフェはは遠くからわざわざ訪れる人がいるほどの人気のある店らしい。

 その茶屋から少し行った所には、旧東海道の石畳が。 江戸時代にはここを歩いたり、籠や馬で通ったりしていたというのか。 まあ、鉄道や自転車・自動車がない世の中なら人々は歩きなれているのだろうが、 それにしても昔の人は強靭で疲れ知らずというイメージが浮かんだ。

 道に迷ったせいで30分以上も時間をロスしてしまった。こんなところで、予想外だ。 とにかく金谷の宿場も抑えたので、出発する。

 金谷の街を過ぎていく。先ほどの大井川鉄道の単線の線路を越えると、いよいよ大井川を渡る。

 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われたように、 江戸時代、大井川は東海道屈指の難所とされた。前述の通り、橋が架けられていなかったためである。 そればかりでなく、なんと渡し船も禁止されていた。 これは大井川が、江戸や幕府の直轄地だった駿府(静岡市)の防衛ラインの役割を果たしていたためである。

 そのような理由から、庶民だろうが参勤交代中の大名だろうが、 馬や輿・肩車などの手段を用いて大井川を渡らねばならなかった。 川が増水したらそんなことはできるはずもなく、何日も足止めをくらった。

 明治時代になると大井川に橋がようやく架けられた。 その中の一本、ここからもう少し海側に架かる蓬莱橋は、ギネスブックにも載っている世界一の長さの木造歩道橋である。

 自転車だとそんな昔を偲ぶ間もなく、あっという間に大井川を渡り切ってしまった。


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