20 鞠子宿〜19 府中宿(前半) 静岡県静岡市葵区
鞠子宿では昔からとろろ汁が有名であり、歌川広重の「東海道五十三次」にもとろろ汁の店が描かれている。 そして、その描かれている店というのが丁子屋だ。創業から400年以上経つこの店では、 今なおとろろ汁を食すことができる。 ただ、先ほど実家に連絡した時に夕飯は家で食べる旨を伝えており、 今回は店の外観だけで当時の雰囲気を味わうことにした。 少し進んだ所には、「史跡 丸子宿本陣跡」という立派な石碑も。それ以外にもいたる所に看板がある。 宿場町を巡ってきて慣れた、このしっくりくる道の細さも旧東海道の印であろう。 そうして鞠子宿を過ぎて、国道1号に戻る。静岡市の中心街に向かってスピードを出していると、 歩道を歩いている若い男女二人組が。なんとリュックと一緒に、『東海道五十三次 京都→東京』 と段ボールに書かれたプレートを背負っているではないか! 慌ててブレーキをかけて自転車を停めて、二人に話かける。
「どうも。今背中のプレート見ましたけど、東京まで行くんですか?」 会話に花が咲く。男性が質問をしてくる。 「今日はどこから出発されて、どこまで行くんですか?」 男性が尋ねる。 それからこれから待っている箱根峠の話などもしたので、結局20分ほど話し込んでしまった。 元気をもらって、自転車をこぎ出す。安倍川餅で有名な安倍川がすぐに見えてくる。 現在も1軒、旧東海道沿いに昔と変わらない手作りの安倍川餅を売っている店がある。 いつもならこんなことは後になって調べて知ることだが、ここは地元静岡。 その店は小学校か中学校の社会科か総合的な学習の時間かどこかで調べた記憶があるのでちゃんと知っていた。 安倍川を渡れば、だんだん地元の見慣れた道になってくる。静岡市の中心部はもうすぐだ。 だが、静岡駅まであと1キロほどのところで今まで持ってくれていた雨がとうとう降りだしてしまった。 雨に打たれながらも、静岡駅へたどり着く。そこを左折して、静岡県庁や静岡市役所の方へ向かう。 県庁のすぐ近くに、人の身長より大きなサイズの明治時代初期の石碑が。それによると、 ここまで京都三条大橋から84里14町(約331.4km)、そしてここから東京日本橋まで46里10町(約181.7km)だそうだ。 それから雨の中、近くにある駿府城公園に再現された駿府城東御門を見に行く。 まあこの場所自体は小中高の時良く通った場所なのだが、京都からずっと来た今、見慣れたそれも意味が違ってくる。 府中宿は城下町駿府(=駿河国府中)の一角をなしていた宿場町である。徳川家康の隠居の地であり、 家康が駿府に君臨していた17世紀初頭は京・大坂や江戸と並ぶ大都市であり、その後も江戸幕府の直轄地として栄え、 都市としては東海道五十三次の中で最大を誇っていた。 現在、静岡市は静岡県の県庁所在地で、10年ほど前に政令指定都市になった都市でもある。 日本で緑茶栽培が始まった場所でもあり、今でも茶の生産が盛んである。他にもみかんやワサビなども有名である。 また、玩具産業も盛んで、特にプラモデルは全国売上シェアを9割ほど占めている。 登呂遺跡や久能山東照宮、浅間神社や草薙神社などの歴史的建造物も数多く存在する。 ……地元だけに、解説に熱が入ってしまった。 なんとか今日はここ静岡市まで来られた。駿府城公園から実家まで10分ほど。 雨の中を急ぎ、実家に到着。 そして風呂や食事を済ませた後、久々の家族とのひと時を楽しむ。 今日はかなり無理をしたので、明日もここでゆっくりして一日英気を養うとしよう。 全くの余談だが、この日はジブリの『天空の城ラピュタ』がテレビで放映されていた。 最近これが放映されるたび、滅びの呪文「バルス」に合わせて2ちゃんねるやニコニコ動画に 大量書き込みが行われたり、TwitterにこのセリフがTweetされたりして、負荷がかかってサーバがダウンしているらしい。 そのことを事前に知っていたせいで、主人公のパズーとヒロインのシータが「バルス!」と唱えたときに、 終盤の感動的な場面なのにもかかわらず見ていて大笑いしてしまったのは多分自分だけではないはず…… |
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