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17 興津宿〜16 由比宿    静岡市清水区〜(旧由比町)

 ここ興津宿には、飛鳥・奈良時代からの寺院、清見寺がある。

 江戸時代には徳川氏の庇護を受け、明治時代には夏目漱石をはじめとする数多くの文豪がここを訪れている。 また、大津の関蝉丸神社と似たような感じで、清見寺の境内の中を東海道本線の線路が通過している。

 清見寺の隣には、本を見開いたような形の立派な興津宿紹介石碑がある。それによると、 江戸時代は隣の江尻宿よりもここ興津宿のほうが栄えていたらしい。 それは、今から越えねばならない薩た峠(さったとうげ)があるからだそうだ。
 ※「た」は「土偏に垂」で成る漢字。変換ができない……

 興津宿と次の由比宿間は、山が海へ突き出す形になっている。 このような地形は北陸道の「親不知(おやしらず、富山県と新潟県の県境)」にもあり、 そこは北陸道最大難所と言われていたが、この区間は古くはそこと並び称されるほどの東海道の難所であった。 これを回避する為に造られたのが、薩た峠である。ただ、地質的には脆弱で、何度も地滑りが起こっているようだ。

 現在海側には国道1号富士由比バイパスが通っているが、 自転車はそこを通行禁止なので嫌でも薩た峠を越えなければいけない。

 興津川を渡るまで進んだ後、左に曲がって北のほう、山側に進路を変えて薩た峠の入り口を探す。 看板に薩た峠の文字が見えたので、そちらに行く。すると、少し行った所で地元のオジサンに声をかけられる。

 「おい、兄ちゃん。そっちは自転車ではいけねえよ」
 「いや、でも看板に薩た峠はこちらだと書かれていたのですが」
 「ありゃ、歩いて移動する人用だ。山道だから、どうしてもそこを通りたければ自転車を担がないといかんぞ。自転車で上りたければ、来た道戻って東名高速の下を通った後に右に曲がるんだな。そこなら自転車で上れるから」

 危ない、助かった。荷物付きの自転車を担いで登るなんて、神業でもない限り不可能だ。 オジサンにお礼を言って、言われた道へ行こうとすると、また「薩た峠はこちら」と矢印で示された看板が。 今度の看板は自転車にとっても正しい看板だろう。

 言われた道は、この先があるのか心配なほど細い道だったがそれでも進む。はじめは緩やかな上りだったので、 これは余裕だな、と思っていた。しかし、隣の東名高速道路がトンネルに入って見えなくなった辺りから 傾斜が増してきて、最後は押して上らざるを得ない傾斜になった。

 あとで調べてみると、最後は斜度30%とかという、 なんとも鬼畜な角度だったようだ。まあ高速道路がトンネルに隠れてから上り坂を終えるまで400mもなかったので 時間はかからなかったのだが、本当に薩た峠をナメてかかっていた。

 宇津ノ谷峠と薩た峠に囲まれた駿府(静岡)に晩年に過ごした徳川家康の考えが分かった気がした。

 峠を越えれば、休憩所が右手に見える。徒歩で薩た峠を越えてきた、あるいはこれから越える人がたくさんいる。 そこからの富士山と駿河湾の景色は、歌川広重も描いたほどの東海道の屈指の名所である。 ただ、夏の大気は透明度が悪く、今回は富士山は綺麗には見えなかった。 それでも、駿河湾や伊豆半島は見ることができ、景色としてはかなりの部類に入ると思う。

 景色を楽しんだ後は、しばらく坂を下っていけばよい。周りに蜜柑の木がなっている細い道を、 事故に気を付けながらスピードを上げて走る。楽だ。

 一気に下ると、休憩用の「間の宿」の倉沢の地域に出る。道の細さや木造の建物など、 江戸時代の面影が色濃く残っているので、それを感じ取りつつ進んでいく。

 やがて、県道に合流する。由比駅を過ぎてしばらく行けば、由比宿である。


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