15 蒲原宿〜14 吉原宿 静岡市清水区(旧蒲原町)〜静岡県富士市
歌川広重の描いた蒲原は、雪がしんしんと降っている蒲原である。 しかし、暖かい静岡県において、浮世絵のような雪はまず積もらない。 これは、広重が越後国蒲原郡(現:新潟県中部から北部)と勘違いして描いたとか、 雪の降る様子を想像して描いたとか、はたまた広重の予言が隠されているとか、様々な説がある。 いずれにしても、浮世絵「蒲原 夜の雪」は浮世絵の最高傑作の一つと謳われている。 蒲原宿の西端には、観光客と思しき写真を撮っている人が数名いた。そこを通り過ぎて、宿場町の中へ入っていく。 アスファルトの色が普通の黒色ではなく薄い黄土色で、雰囲気が出ている。 そんな旧道沿いには、蒲原の街並みがわりと保存されている。 ここ蒲原宿は、江戸側から歩いてくる人にとっては最初に旧道らしい町並みを楽しむことができる場所らしい。 宿場町の看板もいたるところにある。 旅籠「和泉屋」の跡に人がたくさんいる。そこは現在、お休み処になっていた。 立ち寄ってみると、中にはたくさんの吊るし飾りが展示されていた。 中にいたオバサンがお茶を出してくださったので、遠慮なくいただく。 いつもの如くどこから来たかと聞かれたので、いつものように、東海道を自転車で走っていることを話す。 ゆっくりしていくように言われたので、しばらく建物の中に居させてもらった。 建物の中には、歌川広重の東海道五十三次の手ぬぐいも飾られていた。宮宿、池鯉鮒宿、……。 今まで通ってきた宿場町を思い出す。そして、残り3分の1を切った東海道への思いを新たにした。 お礼を言って、また走り出す。 車通り、道幅などは住宅街の道なのだが、 それがずっと突き当たることがなく続いている。自転車も走りやすく、気分が良い。 蒲原を出ると、富士川を渡るために一度県道は北へ向かう。東海道新幹線の高架と富士川駅を順に過ぎると、 間宿の岩淵があった辺りに出る。旧道には、一里塚跡が健在だ。 今回は県道沿いに進んだので、その姿を見ることはなかった。 源平合戦「富士川の戦い」で有名な富士川は、日本三大急流の一つに数えられるほど、 上流や中流が急なことで知られる。下流はもちろんそんなことはなく穏やかな流れだが、 少し海から離れた所ではラフティングなどの川のレジャーが盛んだ。 また静岡県ではこの富士川を境にして、西側は中部電力の電力周波数60Hzの地域で、 東側は東京電力の50Hz地域になっている。 それ以外の理由からも、この富士川は静岡県を東西に分ける時の境界となることがよくある。 橋の西端に到着。富士川に架かる橋は車道も狭いが歩道が狭いので、 ここは車道を車が来ないタイミングを見計らって進むことにした。 なんとか車に迷惑をあまりかけずに、富士川を渡ることができた。 川を渡れば、製紙工場が立ち並ぶ街、富士市に入る。街の中を5、6kmほど東へ進む。 途中、車の中から手を振ってくれる子どもがいたので、手を振りかえしてあげる。 岳南鉄道の線路を越えれば、吉原宿の辺りに到着する。 |
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