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14 吉原宿〜13 原宿    静岡県富士市〜静岡県沼津市

 吉原宿の辺りには、当時の面影を残すものはあまりない。変わらないものと言えば、 宝永の大噴火以降、300年以上噴火していない富士山の眺めであろうか。まあこの日は、富士山は雲に隠れていたが。

 そんな中珍しく、当時の面影を残すものが「左富士」である。これは、江戸から東海道を歩いてきて ずっと右側に見えていた富士山が、この地域だけ左に見える、というものである。

 元々吉原宿は海の近く、今の東海道本線吉原駅の近くにあったが、数度津波の被害に遭って現在の地になったらしい。 その過程で、東海道は江戸から見て一度北に大きく折れ曲がる形となった。そのため、東海道のごく一部に 富士山の見える向きが変わる場所ができた、という訳だ。

 東海道新幹線の高架を左に曲がって、その場所を訪れる。左富士神社の先に、左富士の松が数本だけ現存していた。 丁寧に解説文もある。あいにく富士山は見られなかったが、当時の面影をわずかに偲ぶことができた。

 ここから東海道は海の方へ進む。吉原駅の近くが、田子の浦と呼ばれる場所だ。 万葉集にある山部赤人の和歌「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける」や、 それを元にした小倉百人一首の歌で知られる (但し、奈良時代の田子の浦と現在の田子の浦は少し場所が違っていたという説がある)。

 旧東海道を走る。交通量が少なく道路状態も良いので走りやすいが、何しろ富士山が見えないので、 あまり気分は良くない。ここを走るなら、富士山が綺麗に見られる時が多い晩秋から冬にかけてのほうが良いだろう。

 東海道本線東田子の浦駅の先で、旧東海道は左寄りの道になる。しかし、今回は海沿いの道を進んだ (まあ旧東海道を外れていることには気づかなかったが……)。

 この辺りは、松並木が海沿いに10kmほどずーっと続いているのである。 ちなみにこの日は、トライアスロンの大会がここで行われていた。

 そんな調子で進んでいて、適当な所で線路を渡って、旧東海道に戻る。 しばらく経って気がつく。実は、原宿を1kmほど過ぎてしまっていたのである。 この旅初めて、来た道を戻らないといけないという失敗をしてしまった。


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