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12 沼津宿〜11 三島宿    静岡県沼津市〜静岡県三島市

 もう一度千本松原を見たいと思ったので、海岸のほうへ移動する。海が見られないほど、 たくさんの松が植わっている。そうして松を楽しんでいる中、沼津西高校を過ぎて「首塚」という 気味の悪い文字が目に飛び込んでくる。

 戦国時代、相模国の北条氏と甲斐国の武田氏の激戦地だったらしく、その首が大量に明治時代に発見されたらしい。 刀の傷が激しく残っている頭蓋骨は10代後半の若者のものが多いという記述も看板にあった。 世が世なら自分も合戦で同じ運命にあったのかもしれないと思うと、ぞっとする。

 現代の日本にもさまざまな問題があるが、命の心配をせずに暮らすことができ、 少なくともこうした旅ができるくらいは余裕のある生活を送れていることに感謝する。 平和は努力して守られているものなのだ。

 そんな千本松原は沼津宿から少し離れた所にあるが、江戸時代から残されているものは現在それくらいしかない。 現在の沼津市街地と沼津宿のあった場所は一致するが、大火、関東大震災、戦災、戦後の区画整理などがあったため、 宿場町の面影はほとんどないのだ。また、沼津は城下町でもあったが、現在はほぼ完全に取り壊されてしまっている。

 鰺の開き(干物)などの水産業が盛んな静岡県東部の都市、沼津の街中を抜けていく。 信号待ちをしていると、今度は旅行中と思しき家族から「どこから来たの?」と車の中から声をかけられる。 いつものように京都から来たこと、宿場町を巡って東京まで行くことを伝える。 信号待ちというわずかな時間だったので、たいして話はできなかった。 それにしても車からわざわざ声をかけてくるなんて珍しい。子供さんが疑問に思ったのだろうか。 まあ確かに、街中をこれだけの荷物を積んで走っていると目立つよね。

 結局気軽に食事に入れるような店は見つからなかったので、狩野川を渡って、沼津の隣の町の三島へ。 沼津と三島は現在どちらも静岡県東部の拠点都市であるが、実は沼津は駿河国で三島は伊豆国と、 以前は別の律令国に属されていた。


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