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05 戸塚宿〜04 程ヶ谷宿    横浜市戸塚区〜横浜市保土ヶ谷区

 戸塚駅の近くには、昔の総理大臣吉田茂が国道1号横浜新道を造る原因になったと噂される 国道1号の開かずの踏切がある。その踏切はやはり開いていなかったので、もう少し先で国道1号に戻ろうと考え、 このまま線路沿いに進んでいく。しかし、すぐ合流できると思ったら大間違いだった。 一向に線路の向こう側に渡れる気配がないのだ。

 もう戻ったほうが良いのかと思い始めた頃、 なんとか歩道橋を見つけた。なんとか線路を越えることができた。

 工場と工場の本当に狭い道を進むことになったが、なんとか国道1号に戻ることができた。 ほんの少し国道1号を戻ったところ、ファミリーレストランの敷地の一角に戸塚宿の江戸方見附跡があった。 戸塚宿は、京や大坂・伊勢・鎌倉などを目指す旅人が1泊目を迎えることが多かった場所であり、 旅籠の数がかなり多く栄えていた。

 戸塚を出て、次の程ヶ谷宿を目指す。横浜市内なので、少しずつ交通量が増えてきた。 旧東海道を行くと絶対迷うので、ここは国道1号を進む。 保土ヶ谷まであと6km、5kmとかという案内標識を見かけるが、なかなか進んでいる気がしないのはなぜだろうか。

 横浜市の児童遊園地とか児童植物園などという建物が右手にあるという看板が現れた時には、 もう保土ヶ谷区に入っていた。現在の戸塚区と保土ヶ谷区の境界付近に、律令国の相模国と武蔵国の境界があったようだ。 現在はまだ神奈川県のままだが、江戸と同じ武蔵国に入ったことになる。

 横浜横須賀道路・保土ヶ谷バイパスのインターの辺りを過ぎると、道路が急に広くなった。 それにしてもこの辺り、高速道路の名前がややこしい。車に乗って高速に乗るとき、看板があっても迷いそうである。


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