01 品川宿〜終 日本橋 東京都品川区〜東京都中央区
東京都に入ってもすぐにはまだ高いビルはない。だが、 京急蒲田駅の前の高架の下を通っているとやっぱり都会だと実感する。そこからポツポツと高いビルが現れ始めた。
なぜ江戸の入り口に処刑場を置いたのかというと、江戸に入ってくる浪人に警告を与えるためだったとかの説が有力のようだ。 そのため、足元からじわじわと焼いていく火炙りの刑や磔にして串刺しにする磔の刑など、 残酷な処刑の数々が見せしめの処刑として行われていたらしい。 当時のことだから、冤罪も多かったことだろう。 結局220年ほどの間に10万を超えるだろうと言われる人が処刑されていった。 その中には、井原西鶴の「好色五人女」にも登場する、恋人に会いたいがために放火を起こした八百屋お七なども含まれる。 道路の下にも遺骨がたくさんあるに違いない。忘れずに、死者へのお参りをする。 この鈴ヶ森刑場から旧東海道を進めば、品川宿があった場所だ。自分のような京から来た人間からしたら、最後の宿場町となる品川宿。 もちろん江戸の方から見ると、初めての宿場町だった。江戸古典落語の舞台にもよくなっている場所だ。 ただし、今回はここからラストスパートをかけたいので、旧東海道は通らずにこのまま第一京浜を進む。あと10kmちょっとだ。
さらにを過ぎて、新幹線などのJRの路線の上を通れば品川駅に着く。 10年ほど前に新幹線の駅が新しく設置された駅、そしてリニア中央新幹線の起点駅になることも決定している東京のターミナル駅の一つ。 第一京浜の通る西側から、線路の向こう側の東側を見ると、高層ビルがたくさん建っている。 大都会の大通りを進む。はっきり言って、自転車が気持ちよく走るような場所ではない。 それでも東海道を通って京都からはるばると来た自分は、気分は高揚していた。 二度目の事故を起こさないように、出来る限りの注意をして車道の端を走る。
ただ、今回の東海道の旅、大阪梅田の国道1号の端からも走り始めたとも言える。 それもあったので、少し遠回りになるが最後は国道1号で締めたかった。 そのため、田町駅の手前で左に曲がることにした。 そこなら交差点から数百mですぐに国道1号に出るからだ。 ![]() 東京タワーを過ぎて少し行った所の案内看板によれば、日本橋まであと5km。 距離的には99%の旅が終わったが、「百里を行く者は九十を半ばとす」ならぬ「九十九を半ばとす」の気持ちで臨む。 霞が関に出た。江戸時代には大名屋敷が並ぶ地域で、官庁街になったのは明治以降の話。 日本の行政の中心地を抜けた先には、皇居、すなわち昔江戸城があった場所がある。 突き当りの交差点は桜田門。幕末にこの近くで大老、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変の名で知られる。日本橋まであと3km。
皇居の東側の門の交差点の右手には、東京の鉄道の表玄関の東京駅が。 この時創建当時の姿への復元工事が終わってすぐだったようで、完成した赤レンガ造りの姿が見て取れた。 国道1号は、その先の交差点を右に曲がって進んでいる。お勤めの人がたくさんいる、東京駅前の高層ビル群の下を進み、 線路の高架をくぐる。その先の街灯には国道1号の青色逆三角形の道路標識がくっついている。今までたくさんのこの標識を見てきたが、 これがもう最後の国道1号の標識かもしれない。これまでの旅が頭によみがえってくる。 日本橋交差点で信号が変わるのを待つ。ここを左に曲がれば目と鼻の先に日本橋が見えるはずだ。 旅が終わってしまう。早く変わって欲しい気持ちと、永遠に変わらないで欲しい気持ちが交錯する。
午後5時20分、三条大橋を出発して6日と4時間。遂に東海道五十三次の起点・国道1号の起点である日本橋に到着した。 長いような、短いようなたびの終着地。父親が出迎えてくれる。私の父親はこの近くが勤務地なので、事前に連絡を入れておいたのだ。 そして、静岡にいる家族に日本橋到着の報告をした。
東海道だけでなく、江戸時代の五街道の起終点でもある日本橋。 現在でも、大阪へ向かう国道1号以外にも青森へ向かう国道4号・常磐まわりで仙台へ向かう国道6号・ 新潟へ向かう国道17号などの道路の起点となっている。 また、日本橋のちょうど真上の首都高が、国際的な高速道路「アジアハイウェイ」の1号線の始まりの場所になっている (終点はトルコ・ブルガリアの国境)。
少なくとも私は、ご年配の方が言うように「今の日本橋の景観はけしからん」とは思わない。 東京オリンピックより前の日本橋を知らないということもあると思うが、私は今の首都高の下の日本橋も好きだ。 そんな日本橋は、旅の終わりにふさわしい雰囲気だ。歌川広重の浮世絵と同じように、今日も人が行き来している。 違うのは、今では自動車も行き交っているところだ。周囲は夕日でオレンジ色に輝きつつある。 心地良い疲れを感じていた私は、そんな様子をしばらく見て楽しんでいた。 |
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