エピローグ(旅のまとめ)
こうして私の東海道五十三次自転車の旅は、無事にではなかったがなんとか終わることができた。 帰りは文明の力を借りて、分解した自転車を電車に積み込んで帰る。友人に協力してもらって手に入れた指定席券を使って、 夜行列車で帰るのだ。帰宅ラッシュの東京駅前で自転車を分解する。 父親と別れた後、無事に予定の電車に乗り込む。電車は定刻通り出発した。 電車で隣になったオジサンは気さくな人で、色々な話をする。そうしているうちに旅が終わった気分になったが、 このまま旅がすんなりとは終わらなかった。 翌朝の天気はひどい大雨。乗っていた電車がで愛知県内で止まってしまっていた。 まあ旅は予定通りに行くはずもないという心持ちなので私は別にどうということはなかったが、他の乗客たちはイライラしているようだった。 私は隣のオジサンが下さったおにぎりや菓子を朝御飯とした。これは非常にありがたかった。 電車は数時間遅れで岐阜の大垣駅に到着した。そこを含めて2回乗り換える。 途中で広島まで行くという先ほどのオジサンと別れる。 京都駅の一駅前で地下鉄に乗り換えて、三条大橋の最寄駅で下車。地上に出れば、旅の始まりの地、三条大橋が目に飛び込んでくる。 出発の日から1週間経っていないのにもかかわらず、ずいぶんと久しぶりに見た気がした。 そこで、本当に旅が終わったという気持ちになった。 夏休みも終わり、後期の授業もとっくに始まった10月22日(火)昼過ぎ。場所は旅の始まりの地、三条大橋。 この時間、私は授業を入れていなかったので京都三大祭りの一つ、時代祭へ来ていた。 時代祭は、明治時代から平安時代までどんどん時代を遡り、それぞれの時代を再現した衣装や道具を身につけた人々の行列を見るもの。 まさしく、歩く絵巻物だ。 明治時代が終わり、江戸時代の行列がやって来る。徳川城使上洛の行列だ。 時代劇で見るような恰好をした人たちがやって来る。江戸時代には、大名行列がこのような恰好で実際に行われていたのだ。 その行列を見ていると、東海道五十三次自転車旅を思い出さずにはいられなかった。 今回の旅の思い出。数々の名所はもちろんのこと、それ以外にもお世話になった数々の人が脳裏によぎる。 本当に楽しい旅だった。 今回の東海道五十三次自転車旅で、自分にとって自転車はあくまで移動の手段だということが分かった。 普通の自転車乗りはパーツを交換したりして、自転車をいじることを楽しむが、自分はそうではない。あくまで目的は旅。 そして、小回りの利きが良い点などから、自転車が最適だからそうしているのだろう。 それから、現在の日本は過去の歴史に何かしら基づいていることもこの肌で感じ取ることができた。 庄野宿でお茶を下さったおばあちゃんの言っていた、「時代の流れ」は確かにあるだろう。 しかしその流れがまた新たな歴史を生んでいくに違いない。その中で、本当に素晴らしい昔のものは変わらず残っていくのだろう。 最後に、お世話になった旅先で出会った人たち、泊めてくれたり切符の手配に協力してくれたりした友人たち、
東海道五十三次自転車旅を心配ながらも何も言わずにやらせてくれた家族、
そしてこの駄文を読んでくださったサイト訪問者にこの場を借りてお礼を申し上げる。 旅の軌跡(地図) |
01 品川宿・日本橋へ戻る 東海道表紙