45 上諏訪宿〜44 金沢宿 長野県諏訪市〜長野県茅野市
上諏訪宿は先ほどの下諏訪宿と同様、諏訪大社の門前町だった。江戸時代には諏訪藩(高島藩)の城下町でもあったという。 その上諏訪宿があった旧街道沿い、現在の国道20号には酒蔵が多数あった。350年も前からある酒蔵もあるという。 二十歳になったばかりの若造には日本酒の銘など詳しく知る訳ないので、 「古い建物が並んでるなー」位しか感想を抱かなかった。日本酒が好きな方なら、たまらない眺めなのかもしれない。 上諏訪の先で、旧甲州街道は国道20号と一度離れる。そこからしばらく、2kmほど走れば巨大な石の灯籠と道標があった。 そこにはオジサンが一人いて、何やらメモを取っていた。甲州街道を巡っている人なのだろうか。 それにしては荷物の量が少ない気がするが。詳しく話を聞かなかったので、今となってはどうだか分からない。 オジサンが記録を採り終えてから、灯籠と道標を見てみる。これから行くのは「左江戸みち」と書かれた方向だ。 その「江戸みち」のすぐ先には、一里塚の跡があった。江戸から51番目の一里塚だという説明板がある。 その昔は8〜9mほどの木が一里塚の上に建っていたという。高いビルなどない当時は目印になったというのも頷ける。 ただ他の多くの一里塚と同じように、明治になってから取り崩されてしまったようだ。 51里、つまりゴールの東京日本橋までまであと200km。寄り道をしたり迷ったりするだろうから、あと250kmか300kmか。 距離としては京都から半分以上は進んだが、まだまだ先は長い。 旧甲州街道は住宅街。車はほとんど走っていないので、多少のアップダウンは気にしないようにして走る。 ひたすらずーっとその道を走ること15分ほど。ショッピングモールが見えてきたと思ったら、大通りに出た。 やっと国道20号に出たと思って、その道を進む。 でも実は、その道は国道20号ではなく国道152号。このままでは北にある上田に行ってしまうことにすぐ気付く。 いつの間に進む道を間違えたのか分からなかったが、とにかく国道20号に戻らないといけない。 茅野の駅の近くを通り、どうにか東南へ伸びている国道20号に戻ってくることが出来た。 昔の甲州街道はそのまま国道20号になっている所が多いので、東海道や中山道と違って迷いにくいはず、多分。 上り坂を頑張って上る。塩尻峠のように、歩道には一部雪の山があった。 一度その雪山に前輪がはまってしまい、抜け出すのに一苦労した。 その上りが終わり下りに入れば、上ってきた苦労が報われる。スピードを出して一気に坂を下れば、金沢宿は一気に近づいてくる。 |
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