40 韮崎宿〜39 甲府柳町宿 山梨県韮崎市〜山梨県甲府市
韮崎宿は、今ちょうど少しだけ通ってきた道、佐久甲州街道(佐久往還)が分岐する甲州街道40番目の宿場。 ただ参勤交代の大名は韮崎にはほとんど泊まることがなく、物流が中心の宿場町だった。 韮崎駅前の東西の通りにぶつかったが、この道が旧甲州街道。久々に甲州街道に戻ってきた。 左折してすぐの眼科の建物のそばに、韮崎宿の本陣跡の碑があった。 甲州街道は、東海道や中山道に比べると本陣跡の碑は少ない。 その本陣跡からさらに少し進んだところには、井筒屋醤油という昭和初期創業の醤油・味噌屋がある。 ここの味噌羊羹が有名なので、お土産にするために立ち寄る。 店の前に止めておいた荷物たっぷりの自転車に店員が気付いたらしく、どこから来たのかと聞かれたので、いつものように京都からだと答える。 少し店員さんとお話しした後、自分の土産用に1本と手土産用に1本、合計2本味噌羊羹を購入した。 ここでもう一度甲州街道を離れて、寄り道をする。釜無川を渡って、川の南西側に行く。 寄り道をするところは、大学の友人の実家。先ほどの道の駅「にらさき」で彼にLINEで連絡を入れたのは、実家の近くを通るという連絡だった。 すると彼のお母さまがぜひ立ち寄ってほしいとおっしゃっているそうなので、お言葉に甘えて立ち寄らせてもらうことにしたのだ。 そのための手土産として購入したのが、味噌羊羹という訳だ。 友人の実家はおおよその位置しか押さえていなかったので、正直迷った。 途中の道もそこそこ坂があり、体を休めている者としてはつらかった。 それでもせっかくの機会なので、地図とにらめっこして必死に探した。 そうしてどうにか近くまで来られたのだが、家が立ち並んでいてどの家かが分からない。 ちょうどその時近くの家で、洗濯物をしまっている女性がいた。 尋ねると、その家のお隣だということが分かった。 こうして、友人のお母さまと無事にお会いすることが出来た。私は、その友人の実家はパン屋だと聞いていた。 だが実際はそうではなく、お母さまはパンやお菓子といった料理の先生で、その関係でパンを焼くことがあるという。 それを多分どこかで自分が勝手に勘違いしたのだろう。 パン屋ならお客として立ち寄っても何も問題ないだろうが、そうではない個人の家に他人が突然お邪魔するのはさぞかし迷惑だったと思う。 それにもかかわらず、笑顔で家の中に招いてくださった。ただただ頭が下がるばかりだが、遠慮なくそうさせてもらう。 お母さまとは色々な話をさせてもらったが、本当に楽しかった。 大学生活のこと・専門分野の地球惑星科学のこと・所属する自転車サークルのことなどの自分に直接関係する話から、 無添加食材のこと・山梨県と静岡県のこと・当時賑わせていた某研究所の論文不正のことなどまで話は多岐に渡った。 この間、話題が尽きることは一切なかった。 楽しいときはあっという間に過ぎてしまう。気が付いたら2時間が経っていた。 そろそろ出発しないと、再び暗い中路頭に迷うことになってしまう。 自分のために時間を割いてくれたことに対し、お母さまに深く感謝してから、再出発する。 とにかく県道や国道のような分かりやすい道を進み、甲府の中心地を目指す。 地図をよく見て、今どこにいるのかをよく検討する。 国道52号か県道20号、どちらかの2本の道に出られれば安心なので、とりあえずいずれかに出られることを第1目標にする。 無事に第1目標の国道52号に出られた。次の目標は、釜無川をもう一度渡ること。 その前に昼ご飯を食べていなかったので、前日同様遅い昼食に。通りがかりのコンビニに入る(この時16時過ぎ)。 弁当と、お気に入りのツナマヨおにぎりを購入。ツナマヨはこの自転車旅ではもう5回目くらいなのではないだろうか。 栄養補給完了。進む道を県道20号に変える。中部横断自動車道の下をくぐってしばらくすれば、また釜無川を渡ることに。 第2目標も達成。 橋を渡れば割とすぐに、中央本線の竜王駅(甲府の隣の駅)前に出る。 国道20号は甲府の市街地を避けて通っているので、中心街に向かう道(国道52号)を進む。 最終目標は、分かりやすい甲府駅にしておく。 途中、川に架かる橋で道路工事をしていた。 そこだけ道路が狭くなっていて走りにくかったが、それ以外の場所ではそこそこ自転車にも優しい道だった。 |
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