34 駒飼宿〜33 黒野田宿 山梨県甲州市(旧大和村)〜山梨県大月市
駒飼宿は、月の3分の1だけ宿場の役割を担っていた。宿場の場所は、現在の甲州市大和町日影にあたる。 いくつかある案内板に従って上り坂を進むと、脇本陣跡を発見。そしてその先に、お目当ての本陣跡があった。 本来まだまだ上りは続くが、旧道を上るのはここまで。 この先にある甲州街道最大の難所、笹子峠は標高1096m。駒飼の本陣からさらに400m以上も高い場所にある。 冬季通行止めなので、3月は笹子峠越えができない。 一応国道20号に戻れば、新笹子トンネルを通って笹子峠をスルーできる。 だが、この新笹子トンネルが問題。非常に狭くて歩道もついていない上に、長さが3km近くもあるトンネルなのだ。 笹子峠越えとは違った意味で大変な道である。 自転車乗りは、峠より安全を取って笹子峠を越える道を選ぶことが多い。だが、元々私は峠嫌い。 ましてや前日までの5日間で摺針峠・馬籠峠・鳥居峠・塩尻峠などを越えてきて、峠にはうんざりしていた。 どちらか選べるのなら、間違いなく新笹子トンネルを選んだだろう。 もっとも4月末までは有無を言わさず、国道20号を通るしかないのだが。 旧甲州街道の案内に従って、来た道とは違う道で戻ると、途中ものすごい傾斜を下ることになった。 ただ国道に戻ったら、新笹子トンネルまで国道20号はまた上り坂。 アップダウンの繰り返しには飽き飽きしていたが、それでも上らなければ始まらないので、上りはもうすぐ終わるというポジティブさで進む。 トンネルの直前にあった道の駅「甲斐大和」で、試練の前に一休み。 三連休最終日、ライダーの方は多かったが自転車乗りは自分以外にはいなかった。 「さっきチャリの集団がトンネルに入ってったよー」 一人のオジサンライダーはそう教えてくれた。そういえば勝沼宿を過ぎて国道20号に入った時、前方にチャリの集団が確かにいた。 彼らは途中のコンビニで休んでいたはずなのだが、どうやら自分が駒飼の宿場に“寄り道”している間に先に行ったようだ。 売店で揚げたてのコロッケを売っていたので、それで栄養補給をする。 そうして覚悟もできたので、いよいよ魔の新笹子トンネルを攻略する時がやってきた。 トンネルの入り口で待ち、タイミングを見計らう。そして、後方から来る車が一台も見えない時、思い切って突入。 中は本当に車の分しかスペースが無く、恐怖でしかない。 現代の車優先社会を少しでも考え直し、歩行者や自転車に優しい世になってくれたら……と考える余裕など全くない。 今は生きてトンネルを出られることに全神経を注ぐのみ。 もちろん3kmもの間、車が一台も来ないなんて夢のまた夢。 特に2度ほどトラックが来たときはどうしようかと思った。 対向車が来ないことを祈りつつ、一度止まってトンネルのギリギリまで寄って、出来る限り邪魔にならないように心掛けた。 それでもかなり迷惑だったに違いないが。 恐怖のトンネルを10分ほどで生きて抜けられた。大月市に入る。 ここから上野原まで34km、今日のゴール、八王子まで64km。そして明日到着予定の最終ゴール、東京まで109km。 ここまで京都から500kmを超える道程を走ってきた訳だが、ゴールが少しずつ見えてきた。 次の黒野田宿も、その先の阿弥陀海道宿と白野宿との合宿で、3つで1つの宿場だった。 山の中の低いところを縫うようにして通っている甲州街道。1つの宿場だけでは宿場町としての業務を果たすことが出来なかった。 新笹子トンネル出口近くからこの先の国道20号を見下ろすと、谷の狭さがよく分かる。 本日の第1関門、笹子峠は無事クリア。しばらくは、ここまで貯めてきた“ポイント”を少しずつ消費して、それに身を任せてスピードを出すだけでよい。 |
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