33 黒野田宿〜32 阿弥陀海道宿 山梨県大月市
黒野田宿は、1か月のうち15日間のみ業務をしていた宿場だった (残りの15日のうち、7日間は次の阿弥陀海道宿が担い、8日間はその次の白野宿が行っていた)。 江戸時代には笹子峠直前・直後の宿場として、大いに賑わったという。 黒野田宿の本陣跡の立派な門の隣には、明治天皇関連の石碑がある。 幾度となくこれから見かけるが、これらは明治13年(1880年)に明治天皇が甲州街道と東山道(中山道)を巡幸した時の記念碑である。 江戸時代から少しだけ現代に近いものだが、これらも甲州街道の宿場の目印になる。 本陣の建物のすぐ近くには、黒野田宿の茶色の標があり、それから「笠懸け地蔵」という地蔵がいた。 黒野田宿も含め、ここからしばらくは完全に国道20号と旧甲州街道が一致する区間。 悪く言えば趣が無いのかもしれないが、よく言えば走りやすい道。 ただ、ここから一気に宿場の数は増えるので、一つ一つ見ていくとするとスピードは出せない。 うっかりすると戻る羽目になるので、よく目を凝らして進むことを心がけなければならないだろう (と言いつつも、この後何度か戻ることになるんですけどね……)。 さてここで、笹子峠を突破した記念と自分へのご褒美に、ここで1つ名物を食すことにした。 その名物とは、「笹子餅」 (峠と言えば餅が名物とそこそこ決まってるのですが)。 明治初期までは、笹子峠を越える人々へ麓で売られていたのが「峠の力餅」。 だが、現在のJR中央本線が開通すると人々の笹子峠の通行は途絶えてしまう。 そこで、近くの笹子駅で、この餅を「笹子餅」として販売し始めたのだという。 自分が生まれる前の時代には、車内販売があったという話をどこかで聞いたことがある。 現在は笹子駅は無人駅だが、笹子駅を過ぎた辺りに店があってそこで買えるので、通りがかりに寄ってみる。 そのお店、「みどりや」に到着。左手に店があり、その反対側が工場のようだ。 店には10個入りもあったが、小さい5個入りの笹子餅を購入した(値段は410円)。 早速口に含む。餅の固さはちょうど良く、また中の餡子もちょうど良い甘さ。想像通りの上品な和菓子だった。 ここでは2個だけ食べ、残り3個は行動食として持ち歩くことにした。 |
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