05 下布田宿〜04 国領宿 東京都調布市
一番東側にある「上布田商栄会」の柱の近くの左手(北側)に、甲州街道の道標があった。 住所から上布田と下布田の境界を探そうとしたが、上・下に住所が分かれている石原とは違い、布田は住所では上下の区別がなくなっていた。 そのため手がかりが得られず、上布田・下布田の境界はこの場ではよく分からなかった。 旅が終わってから、明治時代の地形図を見て確認してみた。 すると、この道標の傍に現在コンビニがあるが、そのコンビニの交差点付近を境にして西側が上布田で東側が下布田となっていた。 そのため個人的に、この道標付近が上布田宿と下布田宿の境界だったと、勝手に短絡的に結論付けた。 ちなみに江戸時代当時も布田五宿には全体で旅籠が数軒あっただけの小さな宿場で、史料が少なくてあまりよく分かっていないという。 とにかくこの道標を下布田宿関連のものだと “勝手に” 断定したので、下布田宿も制覇。 そして次が布田五宿最後の国領宿で、場所は国領駅の辺りのようだ。 だがもう探すのは諦め、下布田宿より北側にある国領神社に代わりに行くことで、国領宿を訪れたことにするのを決めた。 という訳で、国道20号沿いにある国領神社に行ってみる。 |
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