01 内藤新宿〜終 日本橋 東京都新宿区〜東京都中央区
甲州街道の45か所の宿場のラストを飾る、内藤新宿。 元禄12年(1698年)に宿場が誕生し、享保3年(1718年)一度廃止され、明和9年(1772年)に復活した宿場。 これによって、甲州街道の「四十五宿三十二次」は完成した。 こんな大都会で、昔のものを探せというのは無茶というもの。 だが一つ、江戸時代の面影を見せる店が存在する。 その店は「追分だんご本舗」。当時宿場で提供されていた団子の味を、昭和の世になって再現して販売し始めた店だ。 伊勢丹やマルイのある現在の新宿三丁目の交差点は、甲州街道と青梅街道の追分(新宿追分)だった。 青梅街道は、ここ新宿から甲州街道より北側を西に進む道。 中野区・小平・青梅・奥多摩を経由して甲斐国に入り、大菩薩峠を越えて塩山(山梨県甲州市)を通って、最終的には甲府の酒折で甲州街道と合流する(甲府柳町宿〜石和宿間)。 新宿三丁目の交差点から東に入ったところで店を発見。ビルの一階部分が店舗になっていた。 自転車を歩道の端に止めておく。 誰も並んでいなかったので、すぐにお目当てのみたらし団子を買うことができた。 店の前に長椅子があったので、そこで頂く。みたらしは甘しょっぱく、団子は柔らかく、上品な味わいだった。 できたら店の人と昔の様子について話を聞きたかったが、混んできてしまったのでそれはできなかった。 これで、甲州街道の45の宿場は全て巡ったことになる。あとは旅の最終目的地、日本橋に行くのみ。 ただ久々に東京に、しかもあまり来たことのない皇居の西側に来たので、またもや寄り道をすることにした。 その寄り道先は、明治神宮。 東京の初詣の場所として、真っ先に挙げられる明治神宮。 明治天皇が崩御した後、天皇は京都の伏見桃山に葬られた。 しかし東京にも神宮を建設することになり、大正9年(1920年)に完成した。 新宿三丁目交差点に戻り、明治通りに入る。そして千駄ヶ谷から原宿へ。 道は微妙に上っており交通量が多いので、事故を起こさないように最大限の注意を払う。 原宿駅前を通り、明治神宮に到着。原宿には自分と同じ年齢の人がたーくさんいたが、やっぱり自分は浮いていた(ここに買い物に来る人と比べれば、まあ当然ですね)。 また、明治神宮の入り口がよく分からず迷って、少しウロウロすることになった。 ようやく入口に到着。警備員室らしき小屋の奥にある駐輪場に自転車を止めて、境内へ。 外国の方も多数含む、そこそこの数の人が参拝に来ていた。 この参路の長さが、気分を落ち着かせてくれる。 参道には、明治以降の東京の歴史のパネルが多数あった。 記念のお守りを見ていくことにした。とは言ったものの、お守りを拝領するつもりは当初はなかった。 交通安全のお守りも、府中の大国魂神社で手に入れたのでここではいいかな……と思っていた。 だが、ここで旅行安全お守りというものを発見する。しかも、ステッカーつき。 もうこれは自分のために用意されたのではないか、と思えるほどの代物。 先ほどの思いはどこへやら。すぐに代金を納めて頂いた。 駐輪場にゆっくりと戻って、早速旅行安全お守りのステッカーを貼る。 ステッカーは四角くかなり大きいので、なかなかうまく貼れずに苦労した。 最後の寄り道はここまで。いよいよ最終目的地、東京日本橋へ向かう。日本橋まで残り10kmほど。 先ほどの新宿三丁目交差点(新宿追分)まで来た道を戻り、旧甲州街道(新宿通り)を皇居方面へ進む。 一本右の通りの傍には、江戸時代にはとある藩の下屋敷だった新宿御苑がある。 四ツ谷・麹町という、東京にいなくても一度は耳にしたことのある地名を通り、皇居の半蔵門前に出る。 ここから皇居を反時計回りに半周する。 警視庁・桜田門の前で、国道1号と合流。日本橋まであと3km。 東海道自転車旅の時、最後は旧東海道より国道1号を優先させたので、ここからは一度通ったことのある道になる。 そのため、今回はは旧東海道に出て銀座・京橋経由で日本橋に行ってもいいかな、と思った。 しかし道路の込み具合を考えて、やはり国道1号(旧甲州街道)をチョイスした。 この時は皇居ランナーが少なかったので、片側4車線の尋常ではない交通量の道路ではなく、安全な歩道を進むことができた。 旧甲州街道のルートは、日本橋付近では二つの説がある。一つは現代の国道1号(永代通り)と同じのルート、もう一つは今の東京駅を突っ切るルート。 どちらかははっきりしないが、後者のルートは自転車ではしたくてもできないので、東海道の時と同様国道1号に従って進む。 大手町の交差点を右折。東京の地下鉄の中心駅の大手町駅を過ぎ、JRの線路の下を通る。 その高架から3つ目の交差点を左に曲がれば、日本橋が見える。旅が終わろうとしていた。 午後5時55分。自転車旅の最終目的地、東京日本橋に到着。8か月ぶりの日本橋、そして2度目の日本橋だ。 京都三条大橋を出発してから6日半ほど、また甲州街道の端点、長野の下諏訪から3日と少しだった。 東海道の時と同様、日本橋の近くで働いている私の父が出迎えてくれた。 東海道の時には到着しておしまいだった日本橋。今回はぐるっと一周することにした。 帰宅ラッシュの中自転車をどう運ぶのかという課題があるが、それは後で考える。 北東には魚市場発祥の地の石碑。昔は日本橋の北詰に魚河岸があり、関東大震災で築地に移動するまで存在したと書かれていた。 南西には、中央区による日本橋の説明板。江戸幕府が開かれた年に日本橋が架けられた。また現在の石造りの橋は、明治44年(1911年)に造られたともあった。 北西には、日本国道路元標のレプリカ・移動された旧東京市道路元標。ここは前回よく見たので、今回は軽く復習する程度で流した。 残念ながら、交通量が多くて橋の中央の道路の真ん中にある日本国道路元標のところへは行くことができなかった。 前回来た時と同様、人が留まることなく行き交う日本橋。それは今も昔も変わらない。 個人的には好きな、首都高が上を通っている今の日本橋の姿。 この7日間ですっかり気分は旅人になりきった自分は、日本橋も一通り見学しつつ、旅の余韻に浸っていた。 |
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