中山道(前半)・甲州街道自転車旅 エピローグ
中山道前半・甲州街道自転車旅は、こうして無事に幕を下ろした。 この日は関東にある母の実家に宿泊することにした。 帰宅ラッシュの中自転車をどう運ぶのかという問題は、東京駅周辺で夕食を食べて混む時間帯を避けたり、急行より混まない普通電車で時間をかけて移動したりすることで解決させた (自転車を電車で持ち運ぶときは、輪行袋という専用の袋に入れてます)。 それから数日関東でダラダラした後、実家の静岡に戻りそこでもゆっくりした。そして4月の始めに、旅の出発地であり、現在の生活の場である京都に戻った。 春休みが終わる直前、4月5日夕刻。とある一人の友人から、LINEでメッセージが届いた。 「お母さんがパンを焼いて持ってきたので、今日の夜どこかで渡したいんだけど……」 その友人の実家は、中山道前半・甲州街道自転車旅の5日目に、私が韮崎で立ち寄ることになった家。 お母さまがその友人の下宿へ来ているそうで、わざわざパンを焼いてきて持ってきて下さったという。本当に驚いた。 待ち合わせの時間の少し前に、待ち合わせの場所に行く。しばらく待つと、友人とそのお母さまがいらした。お母さまとは、ちょうど2週間ぶりの再会。 手作りの食パンを半斤とロールパンを2つ下さった後、少しの間3人で談笑した。 もらったパンは、翌日・翌々日の朝食としておいしく頂いた。ご配慮に預かり、本当にありがとうございました。 今回の中山道前半・甲州街道自転車旅は、東海道の時よりアップダウンがあって、また寒い時期にやったこともあり、数段厳しい旅になってしまった。 だがその分新たな発見があり、非常に充実した旅だった。東海道とは違い古い街並みが残っている所も多く、面白かった。 また前回の目的は「東京まで、53個の宿場を通りつつ行く」だったが、今回は「最終的に日本橋まで、宿場を一つ一つ訪れていく」という目標で、旅の意図が少し違ったことも大きいと思う。 ただし今回、下諏訪からの第一希望のルート、中山道後半(下諏訪〜日本橋間)は雪で通れなかった。 ここはいつかリベンジして、中山道を走破しなければならないだろう。 この2回の旅で、五街道のうち、東海道・中山道前半(三条大橋〜下諏訪間)・甲州街道を走破した。 つまり五街道のうち2つ半は走破したことになる。 そうすると、自然と残る五街道も走破したいという思いが沸きあがる。 ここまで全く触れてない日光街道と奥州街道は、2つの距離を合わせても230km弱。 東海道の半分以下の距離なので、機会があればすぐに走破できそうだ。 そのように考えると、「五街道走破」は案外近くにあるように感じた。 今回も、旅先でお会いした様々な方々、GPSロガーを貸してくれたり実家に寄っていいと言ってくれたりした友人達、 半分黙認ながらも好きなことをやらせてくれた家族、これらの人々の協力なくして、楽しい自転車旅をすることはできなかった。 そして自己満足の紀行文を読んで下さり、感想を送って下さったサイト訪問者のおかげで、最後まで旅行記を書くことができた。 これら多くの方々に感謝し、文の結びとしたい。 旅の軌跡(地図) |
01 内藤新宿・日本橋へ戻る 中山道表紙 甲州街道表紙