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69 大津宿〜68 草津宿    滋賀県大津市〜滋賀県草津市

 京阪京津線の上栄町駅の近くまで来ると、右手に大津宿本陣跡の案内板が経っていた。京都に一番近い宿場町、大津宿だ。

 夏の東海道の時は琵琶湖の畔の道路を進んだので、今回は大津の町中を通っている旧東海道を進むことにした。 先ほどの案内板に旧東海道の道がちゃんと書いてあったということもある。

 幸いなことに、雨は一時的なものだったみたいで降りやんだ。だけどまたいつ降って来るか分からないので、 合羽は防寒具代わりにもなるということもありそのまま着続けることにした。

 だが、旧東海道は二十一世紀の大津の中に完全に埋もれてしまっている。 そのため半ばカンで、「確かここが旧東海道のはず……」と先ほどの地図を思い出しながら、右へ曲がる。

 実は、もう一本先の道を曲がらなければ本当はいけなかったのだが、その時の自分は気付いていない。 滋賀県庁の前に出たときに、ようやく道を間違えていることに気が付いた。道を修正する。

 住宅街の中を進んでいく。 先ほどの大津宿本陣跡のと同じ形状の地図付き案内板が大津市内には多数あったこと、 旧東海道の方向を表す小さな看板がいくつもあったこともあり、そこまで迷わなかった。 どうしても分からない時は、頼りになる偉大な存在である地元の人に聞いた。

 途中何故か車に乗っている人から何の写真を撮っているか聞かれたり、 ルートが正しいのに間違っていると勘違いして戻ったりしたが、 2・3回京阪石山坂本線やJR東海道本線(JR琵琶湖線)の線路を越えると日本三古橋の一つ、瀬田の唐橋へ到着した。

 1350年ほど前の壬申の乱の舞台、それから平安時代の大ムカデ退治の伝説が残っているなど、 長い長い歴史のある瀬田の唐橋。江戸時代には東海道として整備された。今でも肉まんみたいな擬宝珠の一部が江戸時代のものである。

 唐橋を渡ったところでまた道を間違えたが、何とか旧東海道に戻ることができた。 その先も市街地をくねくねと旧東海道が進む。これではスピードが出ない。出発してから早くも2時間が過ぎていた。

 このままだと今日中に目標の岐阜市まで行けないかもしれない。 仕方がないので、東海道本線瀬田駅の前から現代の東海道、国道1号にルートを切り替えた。

 車通りが多いのは仕方ないが、やはり幹線道路は走りやすい。スピードも出る。 間もなく大津市とはお別れで、草津市に入る (東海道の時と同様に誤解の内容に付け加えておくが、温泉で有名な草津は群馬県草津町のほう。 滋賀の草津は県庁所在地の大津にも劣らない滋賀県有数の都市で、京都や大阪のベッドタウンにもなっている)。

 草津市役所のところを左に曲がる。「人 道 草津」のモニュメントが市役所前に建っている。

 江戸時代は草津は東海道と中山道の分岐点であったが、現在も東海道本線と草津線の線路の分岐点である草津駅があったり、 また最近できた、米原・岐阜方面(旧中山道沿い)へ進む名神高速道路と三重の亀山・四日市方面(旧東海道沿い)へ進む 新名神高速道路の分かれ道、草津ジャンクションがあったりする、まさに交通の要所の街である。


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