68 草津宿~67 守山宿 滋賀県草津市~滋賀県守山市
旧東海道に出るとすぐに草津宿に到着する。現存する本陣(大名などが泊まる宿)の中では 最大級の草津宿本陣があり、それから東海道と中山道の追分の道標も現存している。 逢坂の関で降られた雨で思ったより体力を消耗していたので『くさつ夢本陣』という交流施設に立ち寄り、 休憩所でお茶をいただく。そこに置いてあった草津のキャラクター、たび丸の手作りぬいぐるみが目に入り、一目で気に入ってしまった。 体力を少し回復させた後は、前回の東海道の時には時間がなくて見学しなかった草津宿本陣を見学していく。 入り口で入場券を買うが、そこで近くの資料館、「草津宿街道交流館」の入場券とセットで買うとお得だという。 せっかくなのでその共通入場券を購入。いやぁ、商売上手いなぁ…… 建物の中は当時の様子が綺麗に再現されていた。当時の様子を妄想しながら見学する。 東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の五街道が描かれた地図も置かれていた。 さて、長野の下諏訪まで行った後、どちらへ行こうかとその時は地図を見ながら考えていた。 この五街道の地図はこの先色々な宿場で何度も目にすることになる。 次は草津宿街道交流館へ。江戸時代当時の旅人の持ち物の展示があり、当時の格好ができるような体験コーナーもあった。 勿論それらの見学も見物だが、それ以上にここでしておくべきことがある。それは、「草津宿通過証」をもらうことだ。 草津に着いてからどこかで、この「草津宿通過証」の存在を知った。 草津宿街道交流館と史跡草津宿本陣に共通券で入館された人のうち、中山道を歩いて来た人や東海道を歩いている人に 「中山道踏破証」や「草津宿通過証」を発行するというものだ。これを手にしないで草津を出る訳にはいかない。 受付のオバサンに早速お願いする。名前・住所・中山道(または東海道)は一気に走破するのか、 それとも何回かに分けて行くのか、そしてその走破予定日数はどのくらいかなどと色々書くことに。 走破予定日数のところには自転車なのでどのように描くべきか迷ったが、 結局平凡に「6日間(自転車)」と書いておいた。 手続きをした後印刷に時間がかかったらしく、10分くらい待ってやっと通過証をもらうことができた。
シリアルナンバーと草津市長のサイン入りという、思っていたよりもずいぶんと立派なものであった。
ちなみにここで、先ほど気に入ったたび丸のクリアファイルを購入。 随分と長居してしまったが、草津宿を旅立つ時が来た。最後に東海道と中山道の追分道標を通過する際に軽く見ていく。 東海道と中山道はもう終点の日本橋まで出会わない。そんなことを思いながら、中山道方面へペダルを漕いでいく。 東海道の時と同じように、草津駅の前の道路を右に曲がって、国道1号に戻る。 現代の東海道と中山道の追分、つまり国道1号と国道8号の分岐点は草津市の隣の栗東市(りっとう)にある。 とりあえずそこも通過すべき場所だと勝手に判断し、そこまでは現代の東海道・中山道を進む。 第二の東海道・中山道の追分に到着。前回の東海道の時は国道1号を進んだので右に曲がって三重方面へ進んだが、 今回はこのまま琵琶湖沿い、国道8号をそのまま進む。……とは言っても、すぐ次の宿場の守山宿があるのですぐに旧道に戻る。 東海道新幹線の高架の近くにある、道の駅「アグリの里栗東」で手作りパンを購入する。 多分アグリとは農業(agriculture)のことだろう。実はこの時もう11時前。かなり大津や草津で時間を食ってしまった。 栗東市から守山市に入り、旧中山道に戻ってしばらくすると、滋賀県で唯一残っている一里塚、今宿の一里塚があった。 守山宿はその先だ。 |
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