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67 守山宿〜66 武佐宿    滋賀県守山市〜滋賀県近江八幡市

 守山宿は、現在の東海道本線(琵琶湖線)守山駅の北西1kmほどの場所にある。 「京発ち守山泊まり」と言われるように、京都を出発した江戸時代の人間はここで泊るのがセオリーだった。

 守山宿の中山道街道文化交流館に立ち寄る。江戸時代からある街道沿いの町家を利用した場所だ。 入り口で地元の人が野菜を売っていた。

 「雨の中たいへんやね、どこまで行くんや?」

 旅をしているとよく言われる台詞だが、悪い気はしない台詞。 「中山道をずっと走って東京まで」と答えると、やはり驚いていた。中に入れさせてもらう。

 中の人とも先ほどと似たような会話をし、お茶をだしてもらった。 寒い小雨の中すでに40km以上走ってきた身としてはありがたい。

一息入れた後、施設の2階にある展示室に行く。 小さな大名行列の模型があり、歌川広重の「木曽海道六拾九次」の絵もあった。 他にも色々な展示物があり、ちょっとした博物館になっていた。 これから訪れることになろう宿場町の絵を見て、志気を高める。

 お茶を出してくれたオバサン、そして外の野菜売りの人達にもお礼を言い、守山宿を後にする。

 間もなく現れる野洲川。琵琶湖に流れる川では一番長い川だ。 その先には、「朝鮮人街道」(彦根道)という街道との分岐点がある。 この街道は、野洲の追分から中山道よりさらに琵琶湖寄りを進み、 安土や彦根を通ってこの先の中山道の鳥居本宿(滋賀県彦根市鳥居本町)でまた合流する道だ。

 江戸時代には参勤交代で使われることは禁止され、唯一李氏朝鮮の外交使節団、 朝鮮通信使が通ることが許されたのでこの名前がついた (というようなことはもちろん前もって知っている訳はない。 主に野洲小学校の校門前にあった標の説明板のカンニングしただけだ……)。

 国道8号に戻り、自転車を進める。交通量が多い一桁酷道、走りにくい道だ。 そんな時は何かしら先にある楽しみを考えつつ走り、乗り切ることがある。 今回の楽しみは、この先の竜王町にある道の駅、「竜王かがみの里」の名物、焼き立てパンだ。 使っている地図、「ツーリングマップル」の情報だ。

 そうして目的の道の駅に到着。しかし何か様子がおかしい。よく道の駅にあるような幟が全くないのだ。 これはひょっとして……。建物に近づく。 そこにあった文字はというと……

『休館日:火曜日』

 何ということだ。お目当ての焼き立てパンは手に入れられなかった。

 先ほどの栗東の道の駅で行動食としてパンを手に入れていたので、パンは食べられた。 道の駅の焼き立てパンは美味しいものが多い。 もちろん「農業」の郷だけあってパンはとてもおいしかった。 だが、ここでの焼き立てパンが食べられなかったのは心残りだ。 何で都合よく休館日に来るのか。単なるマーフィーの法則とは思えない。

 仕方がないので、代わりにここのマスコットキャラクター、「近江うし丸」の看板の写真を撮っておいた。 隣にあったのは、源義経の元服の地という紹介の竜王町の看板だ。 なおこの先の道にあった、規模が大きな休憩施設(間の宿)の鏡宿本陣付近にその元服の地が残されていた。

 近江商人で知られる近江八幡市のはずれに、次の宿場町の武佐宿はある。


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