66 武佐宿〜65 愛知川宿 滋賀県近江八幡市〜滋賀県愛荘町(旧愛知川町)
武佐宿は、近江鉄道の武佐駅の先にある。昔の武佐小学校の児童達 (とはいっても1989年卒業生ということは、今となっては私よりずっと年上の方々だ。 第一1989年には自分はまだ生まれていない)の手作り看板が、高札場や本陣の跡に用意されていた。 物静かで、雰囲気が良いところだ。 またここ武佐は、ここから八日市(現在の東近江市中心地)を通り、鈴鹿山脈の石槫峠(いしぐれとうげ)を経由して 東海道の三重桑名に続く道が分かれる。この街道の名は「八風街道」と呼ばれ、現在の国道421号に相当する。 江戸時代より前は主要な道だったらしいが、東海道の鈴鹿峠が整備されるとそちらがメインで使われるようになった。 武佐の案内板を見ていると、江戸時代に動物のゾウがここを通ったということが書かれていた。 享保14年(1729年)の3月(おそらく旧暦)に、ベトナムから将軍に献上されるゾウが長崎から陸路でここまで来て、 武佐で一泊した、ということらしい。調べると、そのゾウの牙の一部が現在も東京中野の宝仙寺という寺に保存されて いることも分かった。 旧道をしばらく走ると、最近整備されたものと思しき石碑が建っていた。 武佐宿から1里・次の愛知川宿(「えちがわ」が正しく、「あいちがわ」は間違い)まで1里半の距離。 そんな長い距離ではないが、天気があまり良くないせいかなかなか気持ちよく進まない。 その先には、近江商人にふさわしい「てんびんの里」と書かれた中山道の碑もあった。 愛知川宿の商人も「愛知川商人」と呼ばれ、商業の町として栄えた。 愛知川の手前の某牛丼屋で少し遅い昼食をとる。頼むのは当然特盛。 温かい味噌汁がついてくるのも嬉しい。貴重な栄養補給ができ、活力が蘇ってきた。 国道8号の道路案内標識によると、彦根まで20km弱。京都から50km以上走ってきたが、先はまだまだだ。 川を渡ると、立派な愛知川宿の入口、冠木門というでっかい門が見えてきた。 |
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