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63 鳥居本宿〜62 番場宿   滋賀県彦根市〜滋賀県米原市

 鳥居本宿の入り口には、先ほど野洲で分かれた朝鮮人街道との合流点があった。 細い住宅街の一本道、古い建物も多く残っている。多分江戸時代からのものもあるだろう。 街道の雰囲気としてはなかなか良い気がする。

 ただ、旧宿場町の案内の看板はほとんど残ってなかったのが残念だ。 もう少し整備してくれれば他の街道旅人にとっても良いと思うのだが。

 鳥居本から近江鉄道本線沿いに進めば米原駅があるが、その数キロ手前で中山道は右に曲がり、山道に入る。 これから逢坂の関以来の峠、摺針(すりはり)峠を越えねばならない。

 人気が無い峠だ。そこそこ坂がキツイ。荷物も多く、これからのことを考えると無理に こぎ続けなければならないということもあるまい。傾斜が特に大きいところは自転車を押して歩いて進む。

 ふと前を見ると、車が止まっている。こんな一車線分しかない山道の路肩に。 近くで車の持ち主と思われる老夫婦が何かをしているので、話しかけてみる。

 「何をしていらっしゃるのですか?」
 「御彼岸だから、それの準備をね」

 見ると何かの葉っぱ(名前を聞いたのだが忘れてしまった……)を集めていらっしゃった。 そういえば、時期的にちょうど彼岸だ。立ち止まって、少し世間話をした。

 「何か食べ物でも持っていれば差し入れとしてあげたいんだけどねぇ」
 「そんな、お気遣い結構ですよ。そろそろ行きますわ」
 「気をつけて。事故を起こさないように」

 寒い中、元気の出る言葉をもらってまた出発する。

 峠に着いた。江戸時代は東からの旅人は、この摺針峠で初めて琵琶湖を見ることになった。 その眺めは、「中山道随一の名勝」と言われたほどだ。だが、その眺めも今となっては埋立てによって遠くに 少し琵琶湖が見えるだけになっている。

 もっともこの時は、雨が一時的に止んでいるとはいえ、厚い雲に覆われている。 残念ながら琵琶湖を見納めることはできなかった。 代わりに、エレベータ会社のフジテックのエレベータ研究塔が見えた。

 峠を下って名神高速道路に沿った細い細い田舎道を走る。ここも旧中山道のようだ。 その道を進むと、番場宿が見えてきた。


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