61 醒井宿〜60 柏原宿 滋賀県米原市(旧米原町〜旧山東町)
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また醒井の名の由来にもなった「居醒(いさめ)の清水」という湧水が旧中山道の近くの神社の池で湧き出ているが、 ここではその水系の湧水をタダで汲むことが出来る。ありがたく頂戴し、これからの旅の飲み水を手に入れた。
その川の向かい側には「醒井宿資料館問屋場」があった。問屋場(といやば)とは宿場で荷物の引継ぎを行ったり 大名などに人足や馬の提供を行ったりする場所のこと。完全な形で残っているのはほとんどないらしい。 入場無料ということもあり、軽く見学していった。
そのまま旧道を進むと国道にぶつかったので、再び国道21号に戻って東へ進む。 案内標識によると、関ヶ原まで11kmで大垣まで25km。つまり岐阜まであと40kmほどの距離ということになる (実際はこの通りにはならなかったのだが……)。
旧道に入ったところには石碑があった。それには、ここより手前1km弱ほどの梓(あずさ)という集落は、 江戸よりはるか昔の律令時代からあった東山道の横河駅があった場所だとある。 もちろんここでの駅は鉄道の駅ではなく、荷物などを引き継ぐために馬とか人夫とかを置いた場所のこと。 飛鳥や奈良時代からこの辺りは道だったようだ。
しばらく行くと古い家が立ち並ぶ集落が見えてきた。近江国の最後の宿場、柏原宿である。 |
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醒井(さめがい)宿は、その醒ヶ井駅の近くにあった。
まずは醒ヶ井駅の前の『醒井水の宿駅』(「宿駅」で「えき」と強引に読むらしい)で、ちと休憩。
ここでは白餡を包んだ名物の和菓子、「六方焼」を購入。
ここで食べてもよいのだが、考えた末行動食として持ち歩くことにした。
そして、今度は旧道に入る。湧水が出るように醒井は水の町で、旧道沿いに綺麗な川が流れていた。
この清流にはハリヨ(針魚=サヨリのこと)という絶滅危惧種の魚が生息しているらしい。
また、バイカモ (梅花藻)という暖かい時に白い花を咲かせる水草もあった。
もちろん3月にはそんな花は咲いていないが。
そして、観光案内所にも立ち寄る。ここでも女性の方が応対して下さった。
そして草津・守山の宿場に引き続き、本日3回目の温かいお茶を頂いた。毎度のことながらありがたい。
ここでこの先の地図や、醒井のパンフレットなどももらうことが出来た。
東海道本線は醒井から北へぐるっと回り込んで東に進んでいるが、
国道21号や旧中山道は回り込むことなく東へ進んでいる。途中で国道を離れ、旧中山道に道を切り替える。
旧道を走っていると霧が少しずつ濃くなってきた。
旅情を醸し出してくるので雰囲気はいいが、なんとなく心細くなりそうな感じだ。
この心細さは時間が午後4時を回っていて、昼間よりやや暗いことからも来ているのかもしれない。