58 関ヶ原宿〜57 垂井宿 岐阜県関ケ原町〜岐阜県垂井町
国道沿いに、「不破関資料館」があった。先ほどの戻った旧道をそのまま進めばあった、不破の関の資料館だ。 中学校の社会の授業でやった、飛鳥時代の壬申の乱。その乱の後、この不破関は作られた。 古代東山道の不破関、古代東海道の鈴鹿関(三重県亀山市)、古代北陸道の愛発関(あらちのせき、福井県敦賀市)。 この三つの関署は「三関」と呼ばれ、重要視された。 ただ、ここ関ヶ原はその壬申の乱から900年以上も経った1600年の合戦の方がはるかに有名。 もちろん自分もそんな認識だ。というか、不破の関という名称は今までは軽く耳にしただけだった。 今回は資料館には寄らず、雨の中関ヶ原合戦場を目指す。 JR関ヶ原駅前に到着。実はこの国道沿いに関ヶ原宿の脇本陣跡があったのだが、見落としてしまった。 おそらく「大垣14km 岐阜31km」の案内標識に目を奪われていたのだと思われる。 しかしまだ岐阜まで、あと30km以上もあるのか…… 駅前の高架を越えて、関ヶ原合戦の地を雨の中合羽を着て少し回る。 観光地だけあり、案内板は多数設置されている。 それらに従って探していくと、関ヶ原町の歴史民俗資料館があった。 だが時刻は既に17時半過ぎなので、もう閉館時間を過ぎていた。 せめて関ヶ原の戦い激戦の地くらいは見て行こうと、さらに少し北に向かって5分弱自転車をこぐ。 そこに到着。立派な石碑が建っていた。雨の中カメラを出して、写真を撮る。 これをもって関ヶ原の宿場は訪れたことにする。 来た道をもう一度通り、再び関ヶ原駅前の国道21号に戻る。さらに東へ向かう。 さすがにライトをつけないとまずいので、前のライトを2つ、後ろのライト(テールランプ)を1つつけて走る。 周囲が暗くなると、旧道に忠実に走ると昼間よりさらに迷うので、 とにかく次の垂井宿が近くなるまでは新道を進む。関ヶ原町を出て垂井町に入ったところで 旧道と思しき道があったので、そこを左折する。 |
59 今須宿へ戻る 中山道表紙 57 垂井宿へ進む