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56 赤坂宿〜55 美江寺宿   岐阜県大垣市〜岐阜県瑞穂市(旧巣南町)

 赤坂宿は、江戸から数えて56番目の宿場。そして京都から数えると14番目の宿場だ。 ちなみに東海道にも同名の宿場がある(東海道36番目の宿場、場所は愛知県豊川市旧音羽町)。

 ここには五七処という赤坂宿の案内処・土産処がある。 街道の出発地、東京日本橋を宿場に含めると56+1で57ということらしい。 ここ赤坂に来たら、必ず寄っていこうと思っていたところだ。

 もっとも、午後8時に観光案内所が開いているわけもないので、目の前に来ただけで通過する。

 五七処から少し東に行ったところに、赤坂宿の観光マップがあった。 寒さで凍えながら、美濃赤坂の近くには何があるか確認しておく。 ただし、あくまで確認するだけで実際にその場へ行くわけではない。 残念ながら、そうする時間も体力も気力も残っていなかった。

 赤坂宿を出発し、次の美江寺宿を目指す。 実は、私にとっては赤坂宿〜美江寺宿間が中山道自転車旅で一番大変だったように思う。 少なくとも馬籠峠でもなく、和田峠でもなかった。 他の街道徒歩旅の人からするとものすごく意外なことだと思うが、理由としては色々ある。

 まず、この日は既に130km近く走っているという状況だったこと。 しかも走りっぱなしならいざ知らず、宿場町ごとに止まって見学をしていったので疲れは倍増だった。 自転車の場合、たびたび止まると疲れるのだ。

 次に、3月中旬のまだ寒い雨の中探さねばならない状況だったこと。 手袋は濡れて役に立たず、手先の感覚はあまり残っていなかった。 もちろん、寒いのは手先だけでないのは言うまでもない。 最悪の場合、低体温症で動けなくなってしまう恐れがあった。

 さらに通行する場所だ。通る道は街灯があまりなく、どこを通っているかがよく分からない状況だった。 初めての土地で、自分のいる場所が分からないほど心細いことはない。  それに加えて、大垣市〜岐阜市間は水の街。木曽三川をはじめとする多数の川が流れている。 そのため、川を渡るごとに橋を探さねばならず、なかなか距離が進まなかった。

 おまけに次の美江寺宿は大通り沿いにないので、夜の真っ暗な田んぼや畑の中をひたすら捜索することになった。 無論、宿場の遺構はライトアップされているわけもないので、暗い中手探りで探さねばならなかった。

 以上が、この赤坂〜美江寺間が最も大変だった理由だ。 まあ決して嫌な思い出、というわけではないが。

 県道沿いに進み、木曽三川の一つ、揖斐川のほとりまで来た。 ここも道が分からず、なかなか渡れなかった。最終的には河川敷を自転車を担いで強引に突破した。 次の根尾川(揖斐川の支流)も道に迷ったが、苦労してどうにか渡ったのだろう。

 だが、迷っているうちに旧中山道よりかなり北側を走っていた。 冷静に地図とにらめっこをし、南下する。どうにかこうにか美江寺宿があった場所の近くまでやってきたようだ。 


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