50 伏見宿〜49 御嶽宿 岐阜県御嵩町
美濃の伏見宿の近くには、かつて木曽川の港の近くにあった。貨物の取り扱いが盛んで、港は栄えた。 現在は、当時の旧道がそのまま国道21号となっている。現役の大通りとして、中山道が役割を果たしている。 国道沿いの伏見の交差点のところには、一本松公園というスペースがある。 東屋やトイレが設置されており、街道を歩く人にとっては休憩所となるだろう。 奥に100年以上は生きていると思われる立派な松がある。 その先の右手は、伏見宿の本陣があった場所。跡を示す石碑が建っている。 滋賀の武佐宿ではゾウが通って賑わせたという話があったが、ここ岐阜の伏見宿ではラクダの話がある。 幕府に献上される目的でペルシャから連れてこられたラクダ。しかし、幕府にその献上を断られ、見世物興行師のもとに渡ることに。 武佐のゾウ事件から100年近く後の文政7年(1824年)8月に、各地を回っている途中ここ伏見で病気になってしまう。 そのためここに、数日間滞在したというのだ。 先を急ぐので、伏見はこのくらいにして再び自転車を走らせる。右手には田畑が広がっている。 その右手の景色が可児川に変わったら、東海北陸自動車道の高架をくぐることに。 車も随分と減り、かなり長閑な雰囲気になってきた。 その先の左手には、比衣(ひえ)の一里塚跡。96番目の一里塚。先はまだまだだ。 ちなみに中山道には全部で135の一里塚があった。 御嶽の宿場は国道より少し右に入ったところにあるので、適当な所で右に入る。 後で調べると、丁度旧中山道通りに進んでいたことが分かった。 御嶽宿の前の道は、今は県道341号。 国道を離れて少し進んだところの交差点に、お目当ての県道341号の六角形の道路標識があったので左折する。 旧中山道を示す小さな看板もあったので、この道で間違いないだろう。 |
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