44 落合宿〜43 馬籠宿(前半) 岐阜県中津川市〜(旧長野県山口村)
落合宿は、美濃国の最も東の宿場だった。10年ほど前に馬籠が越県合併して岐阜県に編入したので、 美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)との境界は昔と今では異なる。 とりあえず落合宿の案内板を見つけた。自転車のヘッドライトを当て、今どこにいるのか、そしてどこに何があるのかを把握する。 ここ落合には、住居として現存している本陣がある。ぜひ見ていきたいのだが、真っ暗でどこにあるのかが分からない。 喩えて言うなら、地図は頭に入っているが目隠しをされている状況に近い。 探せる範囲は探したが、街灯が数えるほどしかない真っ暗な所ではその範囲も限られてしまう。 残念ながら結局本陣の場所は分からなかった。なぜ見つからないのか、分からなかった。 実は、ホントの旧道は一本南西側の道だった。 たったそれだけのことだったが、その時はそんなこと思いもつかなかった。 結局唯一落合宿のものとして、高札場の後を示す白い石碑だけを見つけることができた。 旧中山道と県道7号がちょうど交差する場所にあったので気が付いた。 寒いこともあり落合宿の探索はこれ以上諦め、いよいよ今日泊まる馬籠の宿場へ行く。 旧中山道とはルートが違うが、県道を進んでいけば着くのでもう迷わない。 あとは、思考をシャットアウトしてただひたすら上り坂を上って行けばよいのだ。 道に街灯は全くなくなった。頼りになる基本的な明かりは、自分の自転車のライト、 そして遥か上を通る中央自動車道の電灯だけ。 たまにボーナスとして、自動車が通ることもある。その時だけ一時的にすごく明るく感じる。 とにかく無心で上っていくしかない。馬籠宿まであと6km。 時々聞こえる、遠くを通るトラックの音以外は静かだ。 周りもヘッドライトが当たっていない所は何も見えない。 もし仮に猛獣や化け物が出てきても、ちっとも不思議ではない。 ……このように、寒さ・闇・疲れの三重苦でどんどんネガティブ思考になっていく。 夜の山道を走るのは初めてだったが、ここまで嫌なものだとは思わなかった。 だが本当は、それ以上にパンクが怖かった。 こんな所でもしパンクでもしたら、凍える中真っ暗な道を自転車を押して歩いて進むことになる。 それだけは避けたい。自転車・交通の神様に祈る。 中央自動車道の神坂パーキングエリアの高架の下に来た。とにかく明るく、オアシス気分だ。 あと1.5km。 それにしてもこんなところに小中学校があるというのには驚いた。民家があれば、学校があるのは当然なのだが。 休憩したおかげで、割とそのようなことを考える余裕が生まれたらしい。 ついに馬籠宿の入り口に到着。時刻は20時50分。いくら観光地といえ、当然だがこの時間に観光客など1人もいない。 観光は明朝にまわすとして、とりあえず今は今日泊まる宿がどこにあるかを探す。 最後の力を振り絞り、自転車を担いで急傾斜で段差の多い石畳の道を歩く。 少し時間がかかったが、今日宿泊する民宿「馬籠茶屋」を見つけた。 民宿の御主人の連絡をとり、鍵が閉まっている扉を開けてもらう。 こうしてやっと今日の日程を終えられた。この日の走行距離は120km。2日連続で100km越えはけっこうしんどい。 ここの民宿は共同の風呂なので、風呂が空くまで共有スペースで熱ーい緑茶でも飲むことにした。 共有スペースでは、外国の方2人が共有のパソコンを使っていらっしゃった。 その2人と話をすると、彼・彼女はスウェーデンからの旅行者だった。 2・3日この馬籠と妻籠にいたらしく、明日は電車で滋賀の彦根城に向かうそうだ。 他愛のないおしゃべりをしばらく頑張ってしているうちに(英語でのコミュニケーションは慣れてないと難しいですね)、 風呂が空いたので入らせてもらう。 体の芯までじっくり温まった。その後、共通のパソコンで調べ物をして就寝。 気がかりなのは、明日の天気が雨 or 雪の予報だということだ。 明日の天候次第で、どこまで行くかが変わる。果たして明日はどんな旅になるのだろうか。 |
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