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41 三留野宿〜40 野尻宿   長野県南木曽町〜長野県大桑村

 三留野宿も江戸時代には妻籠宿と同様に栄えたが、明治の大火で街並みはほとんど焼けてしまったそうだ。

 南木曽駅の駅舎は妻籠宿という観光地を意識してのことだろうが、日本建築のデザインを採っていて落ち着いた雰囲気。 駅の字も、旧字体の「驛」を使っていた。

 駅を過ぎて線路を越えた先が三留野の宿場があったところ。 宿場町独特の細い道がクネクネと曲がっており、旧中山道の雰囲気が残っている。

 宿場のほぼ中央にあったと思われる本陣跡には、ちょっとした解説文と石碑が建っていた。

 木曽高速に戻る。観光地やレジャー施設までの距離が遠い。 最も近い、やぶはら高原のスキー場まで53kmとある。藪原の宿場はそれよりも少し手前だとしても、遠い。

 その藪原の宿場の先の鳥居峠まで、ここからひたすら傾斜が緩やかな上り坂。 予想以上に、知らないうちに体力がなくなっていくだろう。 ハンガーノック(栄養不足)で動けなくなったら、寒さと雨で低体温症になり、命にかかわる可能性もある。それだけは避けねばならない。

 十二兼の駅を過ぎて左に分かれる道のところには、中山道の小さい石碑があった。 どうやらこの道が旧中山道らしい。

 せっかくの機会だし、旧道を行ける範囲で行ってみることにしよう。 猛スピードで走るトラックが通ると歩道にいても水しぶきがかかってしまうので、国道に少しうんざりしていたところだ。

 中央本線の踏切を渡る。先ほどの南木曽の駅で見たときは確かに複線だったのに、いつのまにか単線になっている。 道路も舗装はされているが、軽自動車がすれ違い出来るか出来ないかくらいの狭さだ。

 もう一度踏切を渡る。踏切の名は「第13中仙道」。 あまりにも細い道で旧道から逸れているかもしれないと心配になっていたが、忠実に辿っているようだ。

 前から赤や紫といった色の傘をさした集団がやって来た。もしかして、中山道を歩いている方々だろうか?

 話しかけると、やはりそうだった。ご年配の女性5人組。江戸側から京側へ、何回かに分けて歩いているという。

 彼女らによると、間もなく野尻の宿場町だという。国道に戻らなくてもよいそうだ。 それから木曽観光連盟が出している、「信州木曽路 中山道を歩く」という地図を一冊分けてくださった。 山と渓谷社の本は彼女らも持っていたが、こちらの方が分かりやすいと押していた。 

 お礼を言って、再び進む。旅は一期一会なり。


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